供野村(読み)とものむら

日本歴史地名大系 「供野村」の解説

供野村
とものむら

[現在地名]豊丘村伴野

現豊丘村の南部に位置する。

和名抄」所載の伊那郡内伴野郷のうち、後の伴野庄本郷となった地域。天竜川沿いの水田地帯には条里的地割の施された跡がみられ、南北へ正確に六〇間ごとに走る道路があり、その間を幾条かの道が平行に通じている。「八町田はつちようだ」「丁ノ田」などの地名があり、字丁ノ田は四周が旧道に囲まれている。

嘉暦四年(一三二九)鎌倉幕府は諏訪社上社五月会頭役を伴野庄内の地頭に命じている。その鎌倉幕府下知状案(守矢文書)には、「一番五月会分左頭、伊那郡伴野庄内 中針田村・宇久津村・福与・(ママ)嶋・里原・阿嶋・伴野地頭等、駿河入道上野前司以下」とあり、本村の名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む