佐嘉庄(読み)さがのしよう

日本歴史地名大系 「佐嘉庄」の解説

佐嘉庄
さがのしよう

大宰府神社文書の天満宮安楽寺草創日記に、永保二年(一〇八二)白河天皇勅願によって藤原資仲が建立した安楽あんらく寺の西御塔領として、蠣久かきひさ庄などとともに「佐嘉庄四十三町三十歩」が寄進されている。以来、佐嘉庄は平安後期から鎌倉時代を通じて安楽寺領であった。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)には勅免分の「安楽寺御領五百七十二町七反」の中に「佐嘉庄四十一丁二反」とある。大宰府神社文書の注進状によれば、弘安五年(一二八二)に安楽寺寺官信全が佐嘉庄庄司政所職などを「信全重代相伝之世帯也」としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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