朝日日本歴史人物事典 「佐魯麻都」の解説
佐魯麻都
6世紀中ごろの倭系の安羅(伽耶の一国,韓国慶尚南道咸安)の人。いわゆる「任那日本府」の執事。加不至費直(河内直),阿賢移那斯らと共に佐魯那奇他(那奇他甲背)を祖先とし,倭人を父,安羅の女性を母に持つ「韓腹」すなわち韓人との二世。卿(大臣),臣,執事で構成された倭の使臣団「任那日本府」で,実務担当である執事として力を持ち,阿賢移那斯らと共に主導的役割を果たした。欽明天皇2(541)年,加不至費直らと新羅と通じて百済王(聖明王)の招集に応じなかったため,百済王から叱責された。同4年,百済王は彼らの召喚を欽明天皇に求め,翌年には佐魯麻都らが任那復興を妨げていると報告している。新羅の官位である奈麻の衣冠を身につけた親新羅,反百済の中心人物として,東進する百済から安羅を守るために新羅との連携を推進した。<参考文献>田中俊明『大伽耶連盟の興亡と「任那」』
(平野卓治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報