任那(読み)みまな

精選版 日本国語大辞典 「任那」の意味・読み・例文・類語

みまな【任那】

四世紀から六世紀にかけて、朝鮮半島南部に興った小国家群、伽倻国の諸国一つ金官国のこと。「日本書紀」では、伽倻国全体をさす。高句麗の好太王碑文に初見。古くから日本と楽浪・帯方両郡との交通の重要な中継地であったので、四世紀中ごろ、大和朝廷は大軍を送り、旧弁韓地域を占領軍事拠点として日本府を置いたが、五世紀以後国内の動揺と高句麗・百済・新羅圧迫とにより、五六二年新羅に滅ぼされた。日本府のことは「日本書紀」の所伝であるが、実在しなかったとする説もある。

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デジタル大辞泉 「任那」の意味・読み・例文・類語

みまな【任那】

古代朝鮮半島南部にあった一小国家。朝鮮の史料には、金官加耶かや(金海)の別名として3回だけ現れる。日本書紀では「みまな」と読み、広義では朝鮮半島南部加耶をさす。6世紀半ば、新羅しらぎに併合された。にんな。

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百科事典マイペディア 「任那」の意味・わかりやすい解説

任那【みまな】

古代の朝鮮南東部にあった国。〈にんな〉とも。532年新羅(しらぎ)に併合された金海加羅の別名であるが,562年まで続いた加羅諸国を指すこともある。朝鮮の古代史料では前者の用例のみだが,日本の《日本書紀》などでは両義に使われている。洛東江下流域に4―6世紀に存在した加羅諸国と大和朝廷とは国交があり,書紀に引用されている《百済本記》によれば,6世紀中葉に加羅地方に〈任那日本府〉という機関があったとされる。従来は,これを日本の出先機関とし,562年まで朝鮮支配の拠点であったとされてきたが,近年の研究ではその存在は疑問とされている。→弁韓
→関連項目飛鳥時代遣新羅使三韓物部尾輿

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改訂新版 世界大百科事典 「任那」の意味・わかりやすい解説

任那 (みまな)
Imna

朝鮮古代の国名。〈にんな〉ともいう。532年に滅亡した金海加羅国の別名であるが,562年までつづいた加羅諸国を指すこともある。任那は《日本書紀》など日本の史料と〈広開土王碑〉や《三国史記》など朝鮮の史料とでは,使用頻度,読み方,領域などに,相違がみられる。日本では任那の名称を多用し,これをミマナとよみ,洛東江流域の加羅諸国やときには蟾津(せんしん)江流域の諸国まで含む広義の任那と,金海加羅国のみをさす狭義の任那との二様に使用している。朝鮮の古代史料には任那の名称は,わずか3例しかみられない。これをニムナとよみ,金海加羅国のみをさしている。ミマナのよみは,ニムナの転訛したものである。ニムナのよみは金海加羅国の始祖王后の許黄玉が来臨した聖地主浦の古訓に由来している。日本で広義に任那を使用したことは,韓(から)や唐(から)の場合と同様に,もっとも関係の深かった任那の国名を,加羅諸国などに拡大使用したためである。
加羅 →金海加羅
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「任那」の意味・わかりやすい解説

任那
みまな
Imna

「にんな」ともいう。4~6世紀頃,朝鮮半島南部に日本 (倭) が領有していた属領的諸国の総称。日本が楽浪・帯方郡時代 (前 108~後 313) に朝鮮半島と交渉があったことは文献的に確認されている。4世紀に入ると,半島は高句麗が南下して楽浪郡を陥れ,同じ頃韓・濊 (わい) 諸族によって帯方郡が滅び,同世紀中頃には半島の西部百済,東部に新羅が建国した。『日本書紀』によれば,このような半島の情勢に対して,日本は半島に有利な立場を築くため,370年前後に大軍を送って半島南部の諸小国群をその支配に繰入れ,いわゆる「任那」を成立させた。なお「任那日本府」という『日本書紀』の表現は後世の総督府的存在と解釈すべきではない。5世紀以後,大和政権の動揺と百済,新羅の進出によって任那は分割され,やがて欽明 23 (562) 年に滅亡した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「任那」の解説

任那
みまな

古代の朝鮮半島南部の国名。本来は金官加羅(きんかんから)(金官国)をさすが,のち加羅(加耶(かや))と同義となる。任那の名称は朝鮮の史料ではわずか3例で,好太王碑文に任那加羅,「三国史記」列伝に強首がもと任那加良人,真鏡大師塔碑銘に大師の祖は任那の王族とあるのみで,いずれも金官加羅のことと思われる。他方,日本の文献には多くの用例がある。「日本書紀」崇神65年条に,蘇那曷叱知(そなかしち)を派遣した任那は新羅(しらぎ)の南西とみえ金官国であるが,以後日本が加羅諸国と交流を深めるにつれ,加羅諸国全体の呼称として定着した。倭王武の上表文の任那・加羅も同義反復とされている。欽明2年条に任那日本府の語があり,官家(かんけ)とも称されたため,この地を日本の植民地とする説もあるが,その事実はない。

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旺文社世界史事典 三訂版 「任那」の解説

任那
にんな

朝鮮古代の国名
4〜6世紀ころ朝鮮半島南部の弁韓の地にあった金海加羅国の別名。また562年までつづいた加羅諸国をさすこともある。日本の史料『日本書紀』と,朝鮮の史料「広開土王碑」や『三国史記』では,読み方・領域などに相違がみられる。日本では任那の名称を多用し,ミマナと読んだ。また,任那問題に関しては,『日本書紀』引用の『百済本記』にみえる6世紀半ばの加羅地方の政治組織としての任那日本府の存在について,学界でも諸説に分かれている。(1)『百済本記』の史料価値,(2)大和朝廷と加羅諸国・百済との関係,(3)任那日本府の名称と実態,(4)任那が調を納めた新羅・百済との関係など,史実解明が求められている。なお朝鮮の学界では,任那日本府の実在は否定されている。

任那
みまな

にんな

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旺文社日本史事典 三訂版 「任那」の解説

任那
みまな

古代の朝鮮半島南部にあった加羅(加耶 (かや) )諸国の一つで,金官国をさす
『日本書紀』では加羅諸国の総称として用いられる場合が多い。日本は任那(加羅諸国)の独立を援助するため,軍事・外交施設を置いたが,新羅 (しらぎ) の侵略,大和政権内部の動揺,外交上の不手際などがあり,562年欽明天皇のとき,新羅に滅ぼされ,その後たびたび復興がはかられたがいずれも失敗した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「任那」の解説

任那(にんな)
Imna

『日本書紀』などの主に日本の史料に記された朝鮮古代の国名。「みまな」ともいう。3世紀初めから6世紀末にかけて洛東江流域に存在した加羅諸国をさす場合と,その一つである金海加羅国のみをさす場合がある。日本では加羅諸国を統制する「日本府」が4世紀以降ここに設けられたとするが,その存在は現在では否定されている。

任那(みまな)

任那(にんな)

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世界大百科事典(旧版)内の任那の言及

【任那】より

…532年に滅亡した金海加羅国の別名であるが,562年までつづいた加羅諸国を指すこともある。任那は《日本書紀》など日本の史料と〈広開土王碑〉や《三国史記》など朝鮮の史料とでは,使用頻度,読み方,領域などに,相違がみられる。日本では任那の名称を多用し,これをミマナとよみ,洛東江流域の加羅諸国やときには蟾津(せんしん)江流域の諸国まで含む広義の任那と,金海加羅国のみをさす狭義の任那との二様に使用している。…

【加羅】より

…朝鮮古代の国名。別名は伽耶をはじめ加耶,伽倻,加良,駕洛,任那など多数あるが,いずれも同じ国名を異なる漢字で表記しようとしたためである。加羅の用法には広狭二様あり,加羅諸国全体をさす広義と,加羅諸国中の特定の国(金海加羅高霊加羅)を呼ぶ狭義とがある。…

【金海加羅】より

…朝鮮古代の加羅諸国中の有力国。別名は金官加羅,大伽耶,狗邪(くや)国,狗邪韓国,駕洛(から)国,任那(みまな)加羅,任那。現在の慶尚南道金海郡を中心とし,王都址の金海邑には多くの遺跡があり,早くから開けていた。…

※「任那」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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