任那(読み)みまな(英語表記)Imna

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

任那
みまな
Imna

「にんな」ともいう。4~6世紀頃,朝鮮半島南部に日本 (倭) が領有していた属領的諸国の総称。日本が楽浪・帯方郡時代 (前 108~後 313) に朝鮮半島と交渉があったことは文献的に確認されている。4世紀に入ると,半島は高句麗が南下して楽浪郡を陥れ,同じ頃韓・濊 (わい) 諸族によって帯方郡が滅び,同世紀中頃には半島の西部に百済,東部に新羅が建国した。『日本書紀』によれば,このような半島の情勢に対して,日本は半島に有利な立場を築くため,370年前後に大軍を送って半島南部の諸小国群をその支配に繰入れ,いわゆる「任那」を成立させた。なお「任那日本府」という『日本書紀』の表現は後世の総督府的存在と解釈すべきではない。5世紀以後,大和政権の動揺と百済,新羅の進出によって任那は分割され,やがて欽明 23 (562) 年に滅亡した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

任那【みまな】

古代の朝鮮南東部にあった国。〈にんな〉とも。532年新羅(しらぎ)に併合された金海加羅の別名であるが,562年まで続いた加羅諸国を指すこともある。朝鮮の古代史料では前者の用例のみだが,日本の《日本書紀》などでは両義に使われている。洛東江下流域に4―6世紀に存在した加羅諸国と大和朝廷とは国交があり,書紀に引用されている《百済本記》によれば,6世紀中葉に加羅地方に〈任那日本府〉という機関があったとされる。従来は,これを日本の出先機関とし,562年まで朝鮮支配の拠点であったとされてきたが,近年の研究ではその存在は疑問とされている。→弁韓
→関連項目飛鳥時代遣新羅使三韓物部尾輿

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版の解説

みまな【任那 Imna】

朝鮮古代の国名。〈にんな〉ともいう。532年に滅亡した金海加羅国の別名であるが,562年までつづいた加羅諸国を指すこともある。任那は《日本書紀》など日本の史料と〈広開土王碑〉や《三国史記》など朝鮮の史料とでは,使用頻度,読み方,領域などに,相違がみられる。日本では任那の名称を多用し,これをミマナとよみ,洛東江流域の加羅諸国やときには蟾津(せんしん)江流域の諸国まで含む広義の任那と,金海加羅国のみをさす狭義の任那との二様に使用している。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

みまな【任那】

古代、朝鮮南部にあった加羅諸国の地域。四世紀後半頃から倭の勢力が及び、六世紀中頃までに百済・新羅に併合された。任那と加耶諸国は倭の領域だとする説もある。にんな。 → 加羅

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

世界大百科事典内の任那の言及

【任那】より

…532年に滅亡した金海加羅国の別名であるが,562年までつづいた加羅諸国を指すこともある。任那は《日本書紀》など日本の史料と〈広開土王碑〉や《三国史記》など朝鮮の史料とでは,使用頻度,読み方,領域などに,相違がみられる。日本では任那の名称を多用し,これをミマナとよみ,洛東江流域の加羅諸国やときには蟾津(せんしん)江流域の諸国まで含む広義の任那と,金海加羅国のみをさす狭義の任那との二様に使用している。…

【加羅】より

…朝鮮古代の国名。別名は伽耶をはじめ加耶,伽倻,加良,駕洛,任那など多数あるが,いずれも同じ国名を異なる漢字で表記しようとしたためである。加羅の用法には広狭二様あり,加羅諸国全体をさす広義と,加羅諸国中の特定の国(金海加羅高霊加羅)を呼ぶ狭義とがある。…

【金海加羅】より

…朝鮮古代の加羅諸国中の有力国。別名は金官加羅,大伽耶,狗邪(くや)国,狗邪韓国,駕洛(から)国,任那(みまな)加羅,任那。現在の慶尚南道金海郡を中心とし,王都址の金海邑には多くの遺跡があり,早くから開けていた。…

※「任那」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

リベルランド自由共和国

ヨーロッパ南東部のセルビアとクロアチアの国境に位置する、国土7平方キロメートルのミクロ国家。個人と経済の自由を信条として、チェコの経済学者ビト・イェドリチカを中心に2015年より建国が進められてきた。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android