精選版 日本国語大辞典 「任那」の意味・読み・例文・類語
みまな【任那】
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朝鮮古代の国名。〈にんな〉ともいう。532年に滅亡した金海加羅国の別名であるが,562年までつづいた加羅諸国を指すこともある。任那は《日本書紀》など日本の史料と〈広開土王碑〉や《三国史記》など朝鮮の史料とでは,使用頻度,読み方,領域などに,相違がみられる。日本では任那の名称を多用し,これをミマナとよみ,洛東江流域の加羅諸国やときには蟾津(せんしん)江流域の諸国まで含む広義の任那と,金海加羅国のみをさす狭義の任那との二様に使用している。朝鮮の古代史料には任那の名称は,わずか3例しかみられない。これをニムナとよみ,金海加羅国のみをさしている。ミマナのよみは,ニムナの転訛したものである。ニムナのよみは金海加羅国の始祖王后の許黄玉が来臨した聖地主浦の古訓に由来している。日本で広義に任那を使用したことは,韓(から)や唐(から)の場合と同様に,もっとも関係の深かった任那の国名を,加羅諸国などに拡大使用したためである。
→加羅 →金海加羅
執筆者:井上 秀雄
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古代の朝鮮半島南部の国名。本来は金官加羅(きんかんから)(金官国)をさすが,のち加羅(加耶(かや))と同義となる。任那の名称は朝鮮の史料ではわずか3例で,好太王碑文に任那加羅,「三国史記」列伝に強首がもと任那加良人,真鏡大師塔碑銘に大師の祖は任那の王族とあるのみで,いずれも金官加羅のことと思われる。他方,日本の文献には多くの用例がある。「日本書紀」崇神65年条に,蘇那曷叱知(そなかしち)を派遣した任那は新羅(しらぎ)の南西とみえ金官国であるが,以後日本が加羅諸国と交流を深めるにつれ,加羅諸国全体の呼称として定着した。倭王武の上表文の任那・加羅も同義反復とされている。欽明2年条に任那日本府の語があり,官家(かんけ)とも称されたため,この地を日本の植民地とする説もあるが,その事実はない。
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『日本書紀』などの主に日本の史料に記された朝鮮古代の国名。「みまな」ともいう。3世紀初めから6世紀末にかけて洛東江流域に存在した加羅諸国をさす場合と,その一つである金海加羅国のみをさす場合がある。日本では加羅諸国を統制する「日本府」が4世紀以降ここに設けられたとするが,その存在は現在では否定されている。
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…532年に滅亡した金海加羅国の別名であるが,562年までつづいた加羅諸国を指すこともある。任那は《日本書紀》など日本の史料と〈広開土王碑〉や《三国史記》など朝鮮の史料とでは,使用頻度,読み方,領域などに,相違がみられる。日本では任那の名称を多用し,これをミマナとよみ,洛東江流域の加羅諸国やときには蟾津(せんしん)江流域の諸国まで含む広義の任那と,金海加羅国のみをさす狭義の任那との二様に使用している。…
…朝鮮古代の国名。別名は伽耶をはじめ加耶,伽倻,加良,駕洛,任那など多数あるが,いずれも同じ国名を異なる漢字で表記しようとしたためである。加羅の用法には広狭二様あり,加羅諸国全体をさす広義と,加羅諸国中の特定の国(金海加羅,高霊加羅)を呼ぶ狭義とがある。…
…朝鮮古代の加羅諸国中の有力国。別名は金官加羅,大伽耶,狗邪(くや)国,狗邪韓国,駕洛(から)国,任那(みまな)加羅,任那。現在の慶尚南道金海郡を中心とし,王都址の金海邑には多くの遺跡があり,早くから開けていた。…
※「任那」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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