…このほか眼鏡橋(長崎市,1634),通潤橋(熊本県上益城郡,1854)などの石造橋,閑谷(しずたに)学校石塀(備前市,1701)などの石塀,日光東照宮石鳥居(1618)や久能山東照宮廟所宝塔(静岡市,1617)などの宗教建築物,および各地に残る石畳道などはいずれも石工の高い技術をよく示している。江戸幕府の建設担当役所である作事方(さくじかた)では,大棟梁のもとに鍛冶・錺(かざり)などとともに石方を配し,その指揮者は石方棟梁と呼ばれ,建物の基礎,竈(かまど)やこたつの石などの作製を担当した。石垣【西 和夫】
[ヨーロッパ]
非ヨーロッパ世界と比べてみると,ヨーロッパ世界はその全域にわたり,時代による様式の違いをこえて石造建築が織りなす景観にある種の共通性がみられる。…
…江戸幕府では1632年(寛永9)に佐久間将監直勝,神尾内記元勝,酒井因幡守忠知の3人を任じて,諸職人をその管下に置き,以来常置の職となった。97年(元禄10)の幕府小細工方廃止にともなう勤方規定によると,作事方は江戸・遠国のおもだった御普請を担当し,材木方,畳方,植木方,絵師,大工等を支配している。1712年(正徳2)の小普請奉行解任後,しばらくその職務を兼帯したが,17年(享保2)小普請奉行が再置され,翌年江戸城内外,御府内の幕府管下の建造物を小普請奉行方と分割,作事奉行方は本丸・西丸の表向,櫓,内郭・外郭の門塀,寛永寺諸堂社等を管掌することになった。…
…それが近世に向かって,大工,木挽(こびき),左官,屋根葺,鍛冶など,職人の専門的な分化がすすみ,一方,城郭や町の建設がさかんとなるにつれ,閉鎖的な組織を打ち破って造営工事を合理的に運営する,新しい組織を必要とするようになって,棟梁という個人的技能に基づく工事指導者と組織が成立していったといえる。江戸幕府の建設に関与する職制では,作事方(さくじかた)に大工頭―大棟梁(だいとうりよう)―大工棟梁,小普請方(こぶしんかた)に大工棟梁,大鋸(おが)棟梁・石方棟梁があった。このうち諸職の棟梁たちを統率する大棟梁は,棟梁たちの棟梁という意味である。…
※「作事方」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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