殿舎,社寺等の築造や修繕をつかさどった職。元来は工事のつど任命された。江戸幕府では1632年(寛永9)に佐久間将監直勝,神尾内記元勝,酒井因幡守忠知の3人を任じて,諸職人をその管下に置き,以来常置の職となった。97年(元禄10)の幕府小細工方廃止にともなう勤方規定によると,作事方は江戸・遠国のおもだった御普請を担当し,材木方,畳方,植木方,絵師,大工等を支配している。1712年(正徳2)の小普請奉行解任後,しばらくその職務を兼帯したが,17年(享保2)小普請奉行が再置され,翌年江戸城内外,御府内の幕府管下の建造物を小普請奉行方と分割,作事奉行方は本丸・西丸の表向,櫓,内郭・外郭の門塀,寛永寺諸堂社等を管掌することになった。このほかに切支丹宗門改,鉄砲改等の職務を兼ねた。人数ははじめ2~3名,のち2名に固定した。23年制定の役高は2000石高で,従五位下に叙せられた。
執筆者:松尾 美恵子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸幕府の職制。1632年(寛永9)創置。普請(ふしん)奉行や小普請(こぶしん)奉行と併称して下三奉行という。員数は2~3人(老中支配、役高2000石、諸大夫(しょだいぶ)、芙蓉間詰(ふようのまづめ))であった。うち1人は宗門改(あらため)、1人は一時期鉄砲改を兼帯した。配下には畳奉行、大工頭、作事下奉行など多数の役職が置かれた。初め幕府の土木、建築はすべてその管掌下にあった。しかし、普請・小普請両奉行の創置後は三者で分掌し、その職掌はもっぱら殿屋の建築のみに限られた。のち1862年(文久2)普請・小普請両奉行の廃止後は普請方・小普請方ともその配下に所属し、67年(慶応3)屋敷改の役名廃止後はその職掌も兼務した。
[北原章男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…はじめ豊臣秀吉に仕え,のち徳川家康に従い,父正次の死後は家を継いで近江小室1万石を領して遠江守に任ぜられた。早くより古田織部に茶の湯を学び,品川御殿作事奉行の任にあった1636年(寛永13),同御殿で3代将軍徳川家光に献茶し,ここからいわゆる将軍家茶道師範の称がおこった。大名茶全盛時代にふさわしく茶室,鎖の間(小座敷と書院の中間に位する座敷),書院の一体化をはかり,台子(だいす)の茶法を中心とする〈きれいさび〉の茶を主張した。…
…曝書,除煤,摘茶,掃除や堂塔の造営など幅広い労役に用いられたが,そこから転じて,室町時代には一般に土木工事のことをいうようになる。 鎌倉幕府の職名には作事奉行の名が見えるのみで,これが建築,土木の両工事を管掌したとみられるが,室町幕府では,建築工事は作事奉行が,土木工事は普請奉行が管掌するように分化している。室町幕府の普請奉行は,とくに将軍,天皇の御所の造営,築地,庭の修築工事や庭中掃除を重要な仕事としたが,戦国大名の下では領民に普請役を課して,堤防,せき,用水路,橋,道路の修築を大規模に行うようになる。…
※「作事奉行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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