依田豊(読み)ヨダ ユタカ

20世紀日本人名事典 「依田豊」の解説

依田 豊
ヨダ ユタカ

明治〜昭和期の教育者,地理学者 女子学習院教授。



生年
明治9年11月(1876年)

没年
昭和8(1933)年1月10日

出生地
長野県佐久郡南御牧村(現・浅科村)

学歴〔年〕
東京高師卒

経歴
御牧小学校に勤め、のち長野県師範学校に学び、小諸小学校に赴任するが間もなく上京し、東京専門学校(現・早稲田大学)に入学、中野正剛・正宗白鳥らと親交をもった。更に北御牧小学校に勤めた後、東京高等師範学校地理科を卒業して東京府立第三高等女学校(現・駒場高校)に勤務した。明治42年学習院教授となり、教育刷新に努め学生監兼務。大正7年良子皇太子妃(香淳皇太后)の教授を嘱託され、12年欧米に渡り地理学を研究し、のち学習院二重学制度を創設するなど、25年間皇族や華族子女の教育に尽くした。著書に「自然人文世界大地理」「地理教育概論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「依田豊」の解説

依田豊 よだ-ゆたか

1876-1933 明治-昭和時代前期の教育者,地理学者。
明治9年11月生まれ。42年学習院教授となり,25年間皇族や華族の子女の教育につくした。昭和8年1月10日死去。58歳。長野県出身。東京高師卒。著作に「自然人文世界大地理」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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