政治家。明治19年2月12日福岡市に生まれる。早稲田(わせだ)大学卒業。東京朝日新聞記者を経て1920年(大正9)から衆議院議員に連続8回当選。犬養毅(いぬかいつよし)を尊敬し革新倶楽部(くらぶ)に入ったが、その後、憲政会、立憲民政党を経て、1932年安達謙蔵(あだちけんぞう)らと国民同盟を結成した。満州事変のころから国家社会主義を信奉し、1933年(昭和8)思想団体東方会を組織、1935年国民同盟から離脱、1936年に東方会を政治結社に改組した。1940年大政翼賛会常任総務となったが、同会に失望して翌1941年辞任。戦時刑事特別法改正を契機として東条英機(とうじょうひでき)首相と激しく対立し、『朝日新聞』1943年元旦(がんたん)号に「戦時宰相論」を寄稿して東条を激怒させた。同年10月21日、直接行動で倒閣を図ったとされた東方同志会事件で逮捕され、25日身柄を警視庁から憲兵隊に移されたが、小林健治裁判官が勾留(こうりゅう)を却下したため26日釈放された。しかしその深夜、日本刀で切腹自殺を遂げた。自殺の原因はいまも謎(なぞ)に包まれている。
[大野達三]
『猪俣敬太郎著『中野正剛』(1988・吉川弘文館)』▽『中野泰雄著『父・中野正剛――その時代と思想』(1994・恒文社)』▽『緒方竹虎著『人間中野正剛』(中公文庫)』
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大正・昭和初期の政治家。福岡市に生まれる。幼名甚太郎,のち正剛に改名。早稲田大学卒業後ジャーナリストとなり,初め《東京朝日新聞》で,次いで《東方時論》誌に拠って健筆をふるう。護憲派記者として反藩閥・反政友会の論陣をはり,寺内正毅朝鮮総督の憲兵政治を非難した。対独参戦・シベリア出兵に反対し,パリ講和会議での日本外交を退嬰的(たいえいてき)旧外交と批判した。総じて1910-20年代の中野は〈内に民本主義外に(反アングロ・サクソン的)帝国主義〉と規定できる。20年に代議士初当選(福岡1区,無所属)。のち革新俱楽部,憲政会へと転じる。憲政会,民政党の少壮幹部として議会で反政府の熱弁をふるう。満州事変時に幣原外交・井上財政に反対して協力内閣運動を起こし,民政党を脱党(1932)。一時国民同盟に所属するが,二・二六事件後は全体主義政党東方会の党首となり,〈アジア・モンロー主義的〉な対外硬運動を展開する。日米開戦後,戦争遂行方針をめぐって東条英機政権と対立(《戦時宰相論》(《朝日新聞》1943年1月1日号掲載)),反東条重臣工作を企てて逮捕される。釈放後割腹自殺を遂げる。
→東方会
執筆者:永井 和
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大正・昭和期の政治家,ジャーナリスト 東方会総裁;衆院議員(無所属)。
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1886.2.12~1943.10.27
大正・昭和前期の政治家。福岡県出身。早大卒。1920年(大正9)から衆議院議員。31年(昭和6)満州事変勃発後,安達謙蔵内相の協力内閣運動に加わり,民政党を脱党。32年国民同盟(党首安達謙蔵)を結成したが,36年国家主義的な東方会を結成しみずから総裁となる。太平洋戦争の戦局が悪化すると,東条内閣の倒閣を画策したため,43年10月21日憲兵隊に捕らわれ,釈放後割腹自殺した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…1923年(大正12)10月創刊された時論雑誌,総合雑誌。《日本及日本人》を主宰していた三宅雪嶺が,関東大震災を機に政教社と分かれて,女婿の中野正剛とともに発行。雪嶺の哲学的論文,時論がつねに巻頭を飾ったほか,中野正剛,杉森孝次郎,田川大吉郎らが筆をふるい,文芸欄には尾崎士郎,正宗白鳥らが寄稿した。…
…中野正剛を盟主とする国家主義政党。東方会の活動は1933年に当時国民同盟代議士であった中野が友人・同志を集めて国策研究団体を組織し,その成果を《国家改造計画綱領》として公表したことにはじまる。…
…会としての一定の主義・方針はなく,内外の諸問題について意見を交換し研究することを目的としていた。満川や大川周明をはじめとする後年の国家主義運動の指導者ばかりでなく,堺利彦,高尾平兵衛などの社会主義者,高畠素之などの国家社会主義者や,大井憲太郎,嶋中雄三,下中弥三郎,権藤成卿,中野正剛など多彩な人々が参加したことに特色があった。満川が猶存社の活動に力を入れるにしたがって老壮会の活動はしだいに衰えたが,22年まで44回の会合を開き,500名をこえる参加者があったといわれる。…
※「中野正剛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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