保良 せき(読み)ホラ セキ

20世紀日本人名事典 「保良 せき」の解説

保良 せき
ホラ セキ

昭和期の保健婦 元・厚生省看護課長。



生年
明治26(1893)年5月15日

没年
昭和55(1980)年10月6日

出生地
長野県

学歴〔年〕
飯田高女卒,慈恵看護婦養成所〔大正7年〕卒

主な受賞名〔年〕
保健文化章〔昭和34年〕

経歴
大正10年渡米し、日本人で初めて米国公認看護婦の試験に合格。コロラド病院看護学校を経て、コロンビア大で4年間公衆衛生看護を学んだのち、昭和4年帰国。大阪朝日新聞社会事業団主事・浜田光雄の要請により、5年同団公衆衛生訪問婦協会を設立し、主任となる。また夫・貞四郎の協力を得て、大阪北区に公衆衛生看護活動の先駆的活動を興した。6年以来雑誌「看護婦」を発行し、16年保健婦規則制定を機に日本保健婦協会を設立。23〜25年厚生省医務局看護課の初代課長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android