信田洋(読み)ノブタ ヨウ

20世紀日本人名事典 「信田洋」の解説

信田 洋
ノブタ ヨウ

昭和期の彫金家 日展参与



生年
明治35(1902)年4月28日

没年
平成2(1990)年10月25日

出生地
東京

本名
信田 六平

学歴〔年〕
東京美術学校工芸科〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
芸術選奨(昭50年度)

経歴
昭和5年帝展初入選、21年日展審査員となる。代表作に「真鍮透彫箱」「芙蓉置物」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「信田洋」の解説

信田洋 のぶた-よう

1902-1990 昭和時代の彫金家。
明治35年4月28日生まれ。昭和2年工人社結成に参加。5年帝展初入選,9年「蒸発用湯沸瓶」で特選。26年「芙蓉置物」で芸術選奨。35年から日展評議員,参与をつとめた。平成2年10月25日死去。88歳。東京出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。本名は六平。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の信田洋の言及

【明治・大正時代美術】より

…26年に,鋳金の高村豊周や内藤春治(はるじ)(1895‐1979),彫金の北原千鹿(せんろく)(1887‐1951),漆工の山崎覚太郎(1899‐1984),染色の広川松五郎(1889‐1952)らによって无型(むけい)が結成された。帝展に工芸部が設置された27年ころは彼らの活動も高揚し,この年,北原千鹿を中心にして,信田洋(のぶたひろし)(六平,1902‐90),山脇洋二(1907‐82)らの金工家が集まって工人社が結成された。また,京都でも1920年に楠部弥弌(くすべやいち)らによって,前衛的な作陶家集団赤土が結成されている。…

※「信田洋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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