倉永名(読み)くらながみよう

日本歴史地名大系 「倉永名」の解説

倉永名
くらながみよう

現上倉永・下倉永を遺称地とし、蔵永とも記される。明徳四年(一三九三)一月一八日の伊東氏発給とみられる八代光孝寺寺領当知行目録(高岡名勝志)に、「倉永名」のうち「寺迫寺々田」七反がみえる。「寺迫」は上倉永の寺迫てらざこであろうか。永正一四年(一五一七)六月六日の荒武宗名給恩分注文(荒武文書)によれば、伊東氏家臣荒武氏は給恩分として蔵永の内橋口はしぐちの現作二町二反を知行しており、当時の蔵永代官は大脇掃部助であった。なおこの地について宗名は、以前伊東氏の家臣長倉四郎兵衛尉を通して安堵を申請し、伊東氏家臣の知行内容を記した御恩帳に知行地と自分の名を書入れることを求めたと述べている。戦国期の伊東氏の神社領支配の内容を示す弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)には、高浜粟野たかはまあわの大明神領として「倉永之内ほしさしの前」二反、倉永八幡領(祖窪格護)として倉永の田一町二反、本庄ほんじよう八幡(現国富町)領として「倉永上分之内嶋めくり」五反、同所高のうち五反が記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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