日本歴史地名大系 「日向国五郡分帳」の解説
日向国五郡分帳
ひゆうがのくにごぐんぶんちよう
写本 明治大学刑事博物館
解説 豊臣政権による日向国の知行割に使用されたとみられる帳簿。天正一九年一一月一三日の日付で郡単位に地名と田数が書上げられ、伊東氏の旧臣で知行割の際の案内者の役割を担った綾新右衛門尉が所持していたことが記されている。田数には建久図田帳の田数を継承したものや、室町期の伊東氏支配下の田数を継承したものもみられ(弘治二年「土田帳写」予章館文書)、中世日向の地域開発の様相や郡域の変更を知るための基礎資料である。臼杵郡は五一五町八段、児湯郡は一千三三八町、那賀郡は二千四五八町、宮崎郡は一千三四五町、諸県郡は二千四七四町で、五郡の総田数は八千一三〇町八段であった。なお年月日未詳の万覚(湯地家文書)や享保一七年の日向国田数之沙汰(佐土原島津家文書)のなかにもこの五郡分帳の写が載せられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報