朝日日本歴史人物事典 「倭姫王」の解説
倭姫王
7世紀の天智天皇の皇后,万葉歌人。倭大后にもつくる。古人大兄皇子の娘。天智7(668)年2月に立后記事がみえる。同10年10月天皇は死の床に大海人皇子(天武)を召して皇位を譲ろうと申し出たが,皇子は辞退して,倭姫皇后を皇位につけ大友皇子を皇太子とし,自らは出家して吉野に隠棲することを願い出た。天智崩御ののち,倭姫皇后が即位したという説もあるが,その後の倭姫皇后については全く記録されていない。『万葉集』には倭姫の歌が4首残されているが,天皇の回復を祈る歌,天皇崩御に際しての挽歌は,いずれも切実な悲しみを歌い上げた絶唱である。殯宮での長歌,「鯨魚取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ」は,皇后の慟哭が直截に響いてくる。<参考文献>斎藤茂吉『万葉秀歌』
(梅村恵子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報