日本歴史地名大系 「備前岡山地理家宅一枚図」の解説
備前岡山地理家宅一枚図(文久元年城下絵図、文久三年城下絵図)
びぜんおかやまちりかたくいちまいず
一六七×三〇一センチ、一七〇×二九七センチ
原図 池田家文庫
解説 肉筆彩色画。この二幅はまったく同じ図法で描かれた家中屋敷割図で、侍屋敷の居住者を張紙で示す。敷地割間数の記入はないが、街路(長さのみ)・川堀間数の記入があり、凡例(桐箱の裏蓋に張付)によると実測されたもの。屋敷地は侍屋敷・下屋敷・足軽屋敷・町屋(町名記入)・寺が色分け区分され、神社・矢倉・馬場・川堀溝・関貫・石垣岩・道・藪・芝などが色分けされ記号が記入されている。文久二年閏八月二二日幕政改革の一環として参勤交代制が緩和され、大名は三年に一年(三家・溜詰・溜詰格)、または三年に約一〇〇日在府、妻・嫡子とも在府・在国自由となった。このため江戸詰の家臣が帰国、藩当局は町屋・寺・百姓屋まで貸家の斡旋に追われ、住宅難に苦慮している。元年と三年の家中屋敷割の違いはこのことによるものと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報