人間的なるものはすべて記号と見なすことができ,それは言語によって名指されることにより存在を得る。この言語の網目が外界をすくい上げ,私たちの前に世界を現出させる。この世界は〈物そのもの〉の側にあるのでもなければ,私たちの心のなかにのみあるものでもなく,言語的中間世界(ドイツの言語学者ワイスゲルバーLeo Weisgerber(1899-1985)による)とでもいうべきものである。言語的中間世界は虚妄の観念世界ではなく,自然・社会・文化という実在の層的構造性によって基礎づけられている。この自然・社会・文化の構造性は近代に入って激変しはじめ,とりわけ19世紀後半ころから人間は自己の生存環境の人工化を推し進めるようになった。20世紀初頭以来の科学および産業の飛躍的発展はこの人工化に拍車をかけ,科学技術の進歩にともなう巨大なマス・メディアの出現は,消費中心主義のコマーシャリズムと結びついた情報化社会を生み出した。情報の飛躍的増大は記号の飛躍的増大にほかならない。人工的に作られた,マス・メディア的虚偽の世界においては〈うその記号〉が跋扈(ばつこ)しひとり歩きする。記号操作の主体は個人を遠く離れて管理機構の深奥におさまる。こうした状況ゆえに記号の本質についての検討が現代の社会と文化の批判のための根本的方法として要請されるのである。文化記号論semiotic(s) of cultureは既成の諸学問の枠を越えて人間と文化の生態を解明し,人間の生活を成り立たせている経済活動(生産・消費・交換など)とその諸理論の批判を可能にするのである。
自然言語はその〈創造性〉により情報のコミュニケーション・蓄積・加工のもっとも重要な手段であり,了解の基盤をなす。たとえば,赤信号は〈危険!〉と自然言語に翻訳されて理解され,その逆ではない。自然言語のみが自然言語について語ることができ(言語についての言語,これをメタ言語metalanguageという),了解とは自然言語の,自然言語への翻訳にほかならない。アメリカの応用数学者C.E.シャノンは,意味とは翻訳の際の不変体である,という。“The bachelor is an unmarried man.”(〈バチェラーとは結婚していない男性のことである〉--言語学者R. ヤコブソンの例)というメタ言語表現ではbachelorはan unmarried manという,より明示的な語に翻訳されること(同一言語内翻訳)により理解されるし,日本語には〈独身者〉の語を与えることにより理解される(言語間翻訳)。
…そのインパクトは言語学にとどまらず,文化人類学(レビ・ストロース),哲学(メルロー・ポンティ),文学(R.バルト),精神分析学(J.ラカン)といったさまざまな分野において継承発展され,20世紀人間諸科学の方法論とエピステモロジーにおける〈実体概念から関係概念へ〉というパラダイム変換を用意した。また,1955年以降,ゴデルR.Godelによって発見された未刊手稿や講義録(Les sources manuscrites du Cours de linguistique générale,1957)のおかげで,それまでのソシュール像は大きく修正され,さらにエングラーR.Englerの精緻なテキスト・クリティークによる校定版(Cours de linguistique générale,edition critique,1967‐68,1974),スタロビンスキJ.Starobinskiのアナグラム資料(Les mots sous les mots:Les anagramme de F.de Saussure,1971)によれば,ソシュールの理論的実践分野は,一般言語学と記号学sémiologieの2領域に大別することができる。 [一般言語学] 弱冠21歳で発表した《インド・ヨーロッパ諸語における母音の原初体系に関する覚書Mémoire sur le système primitif des voyelles dans les langues indo‐européennes》(1878)は少壮(青年)文法学派の業績の一つと考えられていたが,これはすでに従来の歴史言語学への批判の書であり,その関係論的視座は1894年ころまでに完成したと思われる一般言語学理論と通底するものであった。…