元栗橋村(読み)もとくりはしむら

日本歴史地名大系 「元栗橋村」の解説

元栗橋村
もとくりはしむら

[現在地名]五霞村元栗橋・土与部どよぶ

権現堂ごんげんどう(現在は廃川)の東に所在。南部には沼と湿地帯が存在した。北は小手指こてさし村・新幸谷しんこうや村。村域中央、字板間いたま痕泉塚こんせいつか古墳は前方後円墳であったが消滅し、痕泉神が祀られている。室町時代には古河公方の臣野田氏が栗橋城を構え、天文二三年(一五五四)の梅千代王丸足利義氏充行状写(野田家文書)の「先御落居之地廿五郷」のうちに「栗橋」がみえ、野田左衛門大夫の支配地であったことがわかる。しかし栗橋城は永禄末年頃に北条氏照の持城になったと思われ、永禄一一年(一五六八)の北条氏照印判状写(武州古文書)では鯛・蛸などを「早々相調、栗橋へ可相届」との命令が富部郷(現横浜市)船方中に出されている。また天正四年(一五七六)の北条氏照判物(会田文書)には

<資料は省略されています>

とある。同一一年の古河足利家奉行人連署書状写(喜連川家文書案)には「一此度洪水、当口之儀廿ケ年已来無之由候、栗橋嶋之御事、御堅固候、満水已前向栗橋へ、 御姫君様被移御座候」と、洪水を記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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