日本大百科全書(ニッポニカ) 「先意流」の意味・わかりやすい解説
先意流
せんいりゅう
近世薙刀(なぎなた)術の一流派。流祖は信田一雲斎重治(しのだいちうんさいしげはる)。神道(しんとう)流8代飯篠修理亮盛長(いいざさしゅりのすけもりなが)の門人と伝えるが、不詳である。この流儀を有名にしたのは、4代の正木太郎太夫利充(まさきたろうだゆうとしみつ)(1689―1776)で、利充は大垣藩の唯心(ゆいしん)一刀流師範。1713年(正徳3)、所用で駿州(すんしゅう)田中へ急ぐ途中、東海道池鯉鮒宿(ちりふじゅく)の付近で一老人に巡り会い、同行同宿して薙刀7通りの術奥伝までを伝授されたが、この人こそ先意流3代、常州(茨城県)鹿島(かしま)の香取金兵衛時雄(かとりきんべいときお)であったという。
[渡邉一郎]