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大垣藩 おおがきはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大垣藩
おおがきはん

江戸時代,美濃国 (岐阜県) 安八郡大垣地方を領有した藩。慶長6 (1601) 年伊藤氏の築いた大垣城に石川康通が5万石で入封して以来,元和2 (16) 年松平氏5万石,寛永1 (24) 年岡部氏5万石,同 10年松平氏6万石がそれぞれ入封,同 12年,戸田氏銕 (うじかね) が摂津尼崎 (兵庫県) より入封,10万石を領してより廃藩置県に及ぶ。

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百科事典マイペディアの解説

大垣藩【おおがきはん】

美濃(みの)国大垣に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。関ヶ原の戦後石川氏が入部して立藩,その後松平(久松)氏・岡部氏・松平(久松)氏,1635年からは戸田氏が在封。
→関連項目今須美濃国

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

おおがきはん【大垣藩】

江戸時代美濃(みの)国安八(あんぱち)郡大垣(現、岐阜県 大垣市)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩および親藩(しんぱん)。藩校は致道館(ちどうかん)(のち敬教堂)。関ヶ原の戦いの翌1601年(慶長(けいちょう)6)に徳川氏譜代の家臣石川康通(やすみち)が5万石で入り立藩した。石川氏3代のあと、家門(かもん)の松平(久松)氏2代(5万石)、譜代の岡部氏2代(5万石)、家門の松平(久松)定綱(さだつな)(6万石)と藩主が代わった。次いで、35年(寛永(かんえい)12)、譜代の戸田氏鉄(うじかね)が摂津(せっつ)国 尼崎(あまがさき)藩から10万石で転封(てんぽう)(国替(くにがえ))、以後明治維新まで戸田氏11代が続いた。藩体制はその初代氏鉄、2代氏信(うじのぶ)、3代氏西(うじあき)の時代に整備されたが、江戸中期以降、とりわけ後期に財政難に陥り、9代氏正(うじただ)は改革派の小原鉄心(おはらてっしん)を登用して財政改革を断行、また洋学を奨励した。幕末に鉄心は勤王に藩論を統一、新政府側で出兵した。1871年(明治4)の廃藩置県により、大垣県を経て岐阜県に編入された。

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世界大百科事典 第2版の解説

おおがきはん【大垣藩】

美濃国大垣に藩庁を置いた譜代中藩。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦に際して大垣城をめぐる攻防は戦局に大きな影響を与え,大坂方は,岐阜城落城後一時大垣城を中心にして徳川方勢と一戦交える作戦をたてたとされる。その大垣城が関ヶ原の戦で徳川方に帰属し,翌年上総国鳴渡から石川康通が入部して5万石を領するに及んで大垣藩は成立した。その後領主の交替はめまぐるしく,大坂夏の陣の翌年の16年(元和2)石川氏は豊後国日田へかわって下総国関宿から松平忠良が入部。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大垣藩
おおがきはん

江戸時代、美濃(みの)国(岐阜県)西部の内を領有した藩。大垣に藩庁を置いた。譜代(ふだい)。関ヶ原の戦い後、石川氏3代、松平(久松)氏2代、岡部氏2代、松平(久松)氏1代と藩主がかわって、1635年(寛永12)戸田氏鉄(うじかね)が尼崎(あまがさき)から転封。以後廃藩まで11代235年間戸田氏が藩主となった。10万石。ほかに幕末期までに幕府預所(あずかりしょ)6万9000石余を支配。氏鉄は俸禄(ほうろく)制を採用し、新田を開発、新たに高1万3000石を得て、藩政の基礎を固め、3代氏西(うじあき)の代に藩法規「定帳(さだめちょう)」が作成された。藩の財政難は9代氏正(うじただ)に至って深刻化、1850年(嘉永3)改革派の小原鉄心(おはらてっしん)を登用して財政整理や軍制改革を断行した。鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いでは幕軍として参加したが、鉄心は藩論を勤王に統一、会津若松城を攻めて功があった。藩校致道館(後の敬教堂)は藩学をおこしたが、氏正の洋学奨励は、明治期の官界や学界に多くの人材を送るもととなった。[村瀬円良]
『『新修大垣市史 通史編』(1968・大垣市)』

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世界大百科事典内の大垣藩の言及

【戸田氏鉄】より

…江戸初期の大名。近江膳所(ぜぜ),摂津尼崎藩主から,1635年(寛永12)大垣藩10万石に移封され,51年(慶安4)致仕。大垣藩主時代,地方知行(じかたちぎよう)制から俸禄制への移行,走り百姓禁止などの農民政策,1300石余の新田開発や勧農政策の推進,夫役代米納制の確立,山林保護・治水施策など,大垣藩体制確立の基礎を築いた。…

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