光岡龍三郎(読み)ミツオカ リュウザブロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「光岡龍三郎」の解説

光岡 龍三郎
ミツオカ リュウザブロウ


職業
俳優

本名
中沢 喜一

生年月日
明治34年 3月15日

出身地
北海道 亀田郡大野村(北斗市)

学歴
宝高小卒

経歴
俳優となっていた兄の葛木香一を頼って上京。舞台を経験の後、大正13年マキノ等持院撮影社へ入社。マキノ・東亜合併後も東亜キネマにとどまる。14年「女と侠客」で大役を得、「強狸羅」で初主演。野性味あふれる豪快なタイプで続々と主演を続ける。東亜は「猛優」と呼んで宣伝。昭和4年東亜の現代劇強化路線で日活太秦へ移る。8年に退社するまで日活でも活躍。6年からは現代劇にも進出した。その後エトナ映画、マキノトーキー、新興キネマ京都と移り17年からは大映京都へ。32年から33年の「赤銅鈴之助」シリーズでは敵役をユーモラスに演じるなど戦中戦後も活躍した。

没年月日
昭和36年 8月4日 (1961年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

関連語 学歴

20世紀日本人名事典 「光岡龍三郎」の解説

光岡 龍三郎
ミツオカ リュウザブロウ

昭和期の俳優



生年
明治34(1901)年3月15日

没年
昭和36(1961)年8月4日

出身地
北海道亀田郡大野村

本名
中沢 喜一

学歴〔年〕
宝高等小学校卒

経歴
俳優となっていた兄の葛木香一を頼って上京。舞台を経験の後、大正13年マキノ等持院撮影社へ入社。マキノ・東亜合併後も東亜キネマにとどまる。14年「女と俠客」で大役を得、「強狸羅」で初主演。野性味あふれる豪快なタイプで続々と主演を続ける。東亜は「猛優」と呼んで宣伝。昭和4年東亜の現代劇強化路線で日活太秦へ移る。8年に退社するまで日活でも活躍。6年からは現代劇にも進出した。その後エトナ映画、マキノトーキー、新興キネマ京都と移り17年からは大映京都へ。32年から33年の「赤銅鈴之助」シリーズでは敵役をユーモラスに演じるなど戦中・戦後も活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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