光永村(読み)みつながむら

日本歴史地名大系 「光永村」の解説

光永村
みつながむら

[現在地名]湯布院町川北かわきた 光永

荒木あらき村の南東、湯布院盆地ほぼ中央部の大分川右岸に位置する。東は大分川を挟んで石松いしまつ村・山崎やまさき村。慶長五年(一六〇〇)二月の速見郡・由布院知行方目録写(北九州市立歴史博物館蔵)に村名がみえ、高三八八石余。同一六年の家数二六・人数六五(うち庄屋・肝煎二、本百姓九・名子九)、牛一二・馬四(小倉藩慶長人畜改帳)、元和八年(一六二二)の高は一八九石余、家数一七・人数九八(うち本百姓・小百姓一二、名子一四)、牛一五・馬八(小倉藩元和人畜改帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android