デジタル大辞泉
「松尾」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
まつのおまつのを【松尾】
- [ 一 ] ( 「まつお」とも ) 京都市西京区の地名。旧葛野郡松尾村。昭和六年(一九三一)京都市右京区に編入され、同五一年に西京区の一部となる。桂川の右岸にあり、松尾大社がある。
- [ 二 ] 「まつのおたいしゃ(松尾大社)」のこと。
- [初出の実例]「神はまつのを。八幡、この国の帝にておはしましけむこそめでたけれ」(出典:枕草子(10C終)二八七)
- [ 三 ] 「まつのおやま(松尾山)」のこと。
- [初出の実例]「松の尾(ヲ)に仏法僧の鳥も、目に敷(めつらし)く」(出典:浮世草子・好色二代男(1684)一)
- [ 四 ] 謡曲。脇能物。宝生流。作者不詳。臣下が松尾明神に参詣し、来合わせた老人から神徳を聞く。やがて松尾明神が現われ、秋の夜長に神楽を奏し舞って、御代を祝う。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
松尾
まつお
[現在地名]富江町松尾郷
狩立の北西に位置する。近世は富江村の枝郷。慶長一六年(一六一一)松尾に瑞雲寺が建立されたと伝える。寛文二年(一六六二)五島氏の富江陣屋が完成した頃には田野江・松尾・横ヶ倉の集落が成立していたという。文化年間(一八〇四―一八)八ヵ所の灌漑溜池が築造されている。田野江の宝性院裏手には化政期に皿山奉行所が置かれ、肥後天草の陶工を招いて富江焼(皿山焼)を奨励した。北方の田尾村域から陶土を採取。また同所には富江氏の火薬庫、近海の捕鯨解体場があり、いずれもその跡地が残っているという。付近の田尾川岸で行われた紙漉・酒造の遺構もみられる。
松尾
まつお
[現在地名]松尾町松尾
明治二年(一八六九)遠江国掛川城(現静岡県掛川市)城主太田氏が柴山村(現芝山町)に入封、同氏により大堤・猿尾・八田・田越四ヵ村の山林が開拓され、同三年に松尾が成立した。同年一一月政庁が当地に移され、翌四年一月松尾藩が成立、太田領五万石余を管轄した。名称は掛川城の別称にちなむという。鎮守の末広神社は道灌様と通称される。
松尾
まつお
中世よりみえる宇久島の地名で、平郷内に比定される。応安六年(一三七三)に宇久覚ら三一人とともに一揆を結んでいる剛は(同年五月六日「五島住人等一揆契諾状案」青方文書、以下断りのない限り同文書)、当地を拠点とする者で、永徳四年(一三八四)二月二三日の下松浦住人等一揆契諾状(山代文書)に「うくのまつお伯耆守剛」とみえ、松尾氏が一揆に加わっている。明徳三年(一三九二)当地の「松尾」氏を含む五島の二八名が梅ヶ崎会所(現平戸市か)の会合で結番次第を定めている(同年六月二二日番立結番注文案)。
松尾
まつお
応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)の添下郡に「一乗院方 松尾十三町九段半」とある。興福寺一乗院領荘園と考えられる。
一乗院御領注文行賢五巻記(大乗院雑事記)に一乗院末寺として「松尾寺」がある。同寺は同庄の預所であろうか。久寿二年(一一五五)の僧実快田畠譲状(大東文書)に「譲与 西松尾所知田畠等事、合壱町弐段者、在大和国添下郡山田之内」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
松尾(岩手県)
まつお
岩手県北西部、岩手郡にあった旧村名(松尾村(むら))。現在は八幡平(はちまんたい)市の南西部を占める地域。2005年(平成17)岩手県西根町(にしねちょう)、安代町(あしろちょう)と合併して市制施行、八幡平市となった。秋田県に境し、旧村域の70%は岩手山(いわてさん)、八幡平などの山岳が占め、中央を流れる松川(まつかわ)、赤川(あかがわ)沿いにわずかに耕地が開ける。JR花輪線、国道282号(津軽街道)のほか東北自動車道が通じ、松尾八幡平インターチェンジがあり、八幡平、岩手山への玄関口となっている。1882年(明治15)茶臼(ちゃうす)岳東麓(ろく)に硫黄(いおう)の露頭が発見され、1914年(大正3)松尾鉱業株式会社が設立、硫黄の採掘と精錬が始まった。1921年には硫化鉄鉱の採掘も開始、最盛期の1966年(昭和41)には精製硫黄10万トン、硫化鉄鉱68万トンを生産、東洋一を誇り、一大鉱山町が形成された。その後回収硫黄に押され、1972年閉山した。
農業は稲作のほか、トマト、アスパラガス、カボチャなどの施設園芸や酪農も盛ん。旧村域の大部分が十和田(とわだ)八幡平国立公園域であり、観光開発も進んでいる。松川温泉、藤七(とうしち)温泉、八幡平温泉郷をはじめ、下倉スキー場、八幡平リゾートパノラマスキー場などのスキー場のほか、県民の森、松川自然休養村、日本最初の松川地熱発電所などがある。大揚沼(おおあげぬま)モリアオガエルおよびその繁殖地は国指定天然記念物。
[金野靜一]
『『村誌 松尾の歩み85年』(1976・松尾村)』
松尾(千葉県)
まつお
千葉県中東部、山武郡(さんぶぐん)にあった旧町名(松尾町(まち))。現在は山武市(さんむし)の北部を占める地域。東部は下総(しもうさ)台地、西部は九十九里平野が広がる。旧松尾町は1898年(明治31)町制施行。1955年(昭和30)大平(おおひら)、豊岡の2村と合併。2006年(平成18)、山武郡成東町(なるとうまち)、山武町、蓮沼村(はすぬまむら)と合併して市制施行、山武市となった。旧町域の中央部にJR総武(そうぶ)本線、国道126号が通じ、北西部に圏央道が走る。戦国時代に山室(やまむろ)氏の支配、江戸中期に佐倉藩(さくらはん)堀田(ほった)氏の支配を経て旗本領となり、明治初期に掛川(かけがわ)藩主太田氏の移封で一時柴山藩(しばやまはん)(松尾藩)領となった。中心地区の松尾は柴山村(現、芝山町)から太田氏の政庁が移り(松尾城)、銚子(ちょうし)街道の街村として発達した。養豚と米作が盛んで、近年、酪農や施設園芸が増え、ハウスイチゴは特産である。成田国際空港に近く、松尾工業団地に続いて松尾台工業団地も造成された。江戸末期に建てられた長屋門を残す民家が多い。旧町域西沿いを流れる木戸川流域に多数の古墳があり、大堤地区の権現塚古墳(ごんげんづかこふん)は山武地方最大級で県指定史跡。
[山村順次]
『『松尾町の歴史』全3巻(1983~1986・松尾町)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
松尾
まつお
岩手県北西部,八幡平市南西部の旧村域。八幡平の南東麓にあり,西は秋田県に接する。 1889年の野駄村,寄木村の2村と合体。 2005年西根町,安代町と合体して八幡平市となった。地名は近世以来の村名で,由来には諸説がある。硫黄と硫化粗鉱を産する松尾鉱山があり,1914年以来鉱山町として栄えたが,1972年閉山。八幡平,岩手山観光の玄関口として知られる。岩手山を含む南部・西部一帯は十和田八幡平国立公園に属し,松川温泉や藤七温泉がある。中央部には御在所温泉や八幡平スキー場などがある。藤七温泉近くに大揚沼 (おおあげぬま) モリアオガエルおよびその繁殖地があり,国の天然記念物に指定されている。
松尾
まつお
千葉県東部,山武市北部の旧町域。下総台地と九十九里平野の接するところに位置する。 1898年町制。 1955年大平村,豊岡村の2村と合体。 2006年成東町,山武町,蓮沼村と合体して山武市となった。下総台地ではサツマイモを産し,養豚も行なわれる。九十九里平野には水田が広がる。トマト,キュウリなどの園芸農業も盛ん。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
まつを【松尾】
長野の日本酒。酒名は、酒造りの神を祀る松尾(まつのお)大社にちなみ命名。純米酒は芳醇辛口の「信乃大地」をはじめ「白ラベル」「にごり原酒」「生原酒」「生詰」がある。ほかに純米大吟醸酒、純米吟醸酒など。平成4、9、19、21、22年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は主に美山錦。仕込み水は自家井戸水。蔵元の「高橋助作酒造店」は明治8年(1875)創業。所在地は上水内郡信濃町古間。
出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
松尾(まつを)
長野県、株式会社高橋助作酒造店の製造する日本酒。純米大吟醸「松乃尾」「松牡丹」などがある。全国新酒鑑評会で金賞の受賞歴がある。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報