日本歴史地名大系 「入ヶ谷村」の解説 入ヶ谷村いりかやむら 群馬県:館林市入ヶ谷村[現在地名]館林市入ヶ谷町、邑楽(おうら)郡明和(めいわ)村入ヶ谷村央を南東へ谷田(やた)川が流れ、東は矢島(やじま)村(現明和村)、西は上三林(かみみばやし)村・下三林村、南は大輪(おおわ)村・大輪沼(おおわぬま)新田(現明和村)。戦国期には入小屋(いりこや)上野(「館林盛衰記」館林市立図書館蔵)、入ヶ谷上野(館林記)と名乗る人物がいたという。寛文元年(一六六一)の領内一村一人宛出頭方申渡(大島文書)に村名がみえる。寛文郷帳では田方は水損で九五石七斗余、畑方六石八斗余、館林藩領。元禄郷帳では旗本稲生領。のち館林藩領に復した。安政二年(一八五五)の「封内経界図誌」によると、田一八町一反余・畑八反余、家数三六・人数一四五、馬数六。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報