入波村(読み)しおのはむら

日本歴史地名大系 「入波村」の解説

入波村
しおのはむら

[現在地名]川上村大字入之波しおのは

吉野川上流、大迫おおさこの東方に位置する。「塩ノ波村」(慶長郷帳)、「塩ノ葉村」(寛永郷帳)とも書かれ、「大和志」には「塩葉一作入波」と記す。川上郷のうち。慶長郷帳には村高八・三六石、幕府領(代官大久保長安)。のち延宝検地では村高は三〇・四二八石、三倍強となった。

幕末の文久三年(一八六三)九月、天誅組の伴林光平は平岡鳩平とともに伯母峰おばみね峠を経て入波にたどりついた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報