山里(読み)ヤマザト

デジタル大辞泉 「山里」の意味・読み・例文・類語

やま‐ざと【山里】

山間村落山村
山村にある別荘山荘
宇治といふ所に、よしある―給へりけるに」〈橋姫
山奥の家。山家やまが
「―は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」〈古今秋上
[類語]人里村里

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精選版 日本国語大辞典 「山里」の意味・読み・例文・類語

やま‐ざと【山里】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 山の中にある人里。山間の村。山村。
      1. [初出の実例]「春たてど花も匂はぬ山ざとは物うかるねに鶯の鳴く〈在原棟梁〉」(出典:古今和歌集(905‐914)春上・一五)
    2. に建てた貴族の別荘。山荘。
      1. [初出の実例]「しがの山もと、比叡つじのわたりに、いとをかしき山ざと侍」(出典:宇津保物語(970‐999頃)国譲上)
    3. 山奥の家。やまが。
      1. [初出の実例]「山ざとの門田のいねのほのぼのとあくるもしらず月を見る哉〈藤原顕隆〉」(出典:二度本金葉(1124‐25)秋)
  2. [ 2 ] 江戸城西丸の吹上庭園にある場所。

山里の語誌

( 1 )「万葉集」には見えない。「古今集」では、「都」に対する仙境としてのイメージにもとづき、寂寥・孤独の地、憂き世からの逃避先ととらえられた。
( 2 )拾遺集」以降、山家山寺・山居など、山里にかかわる歌が一般化し、閑寂な美的世界、文人貴族の趣味的な隠遁生活の場という一面が見られるようになる。
( 3 )「千載集」以降は、仏道修行者が草庵を結んで生活する寂しい場所ととらえる歌が優勢になる。
( 4 )王朝人の草庵への憧憬には漢詩文が大きい影響をもつが、山里の観念変化背後には、仏教信仰の深化浸透という時代の流れが認められる。

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日本歴史地名大系 「山里」の解説

山里
やまざと

戦国時代末期、佐伯郡の山間部を総称した名称。厳島文書や「閥閲録」所収文書などによれば、久島くじま(玖島)津田つだ虫所山むしところやま友田ともた飯山いいのやま栗栖くりす浅原あさはら白砂しらさご吉和よしわなどが山里とされており、現佐伯さいき町・吉和村湯来ゆき町の一帯に及ぶ。

天文一〇年(一五四一)七月五日付の大内氏奉行人連署奉書(厳島野坂文書)に「山里諸郷」とみえるのがその早い例である。元亀三年(一五七二)二月二六日付の大願寺円海厳島社造営領寄進地付立(大願寺文書)は「山郷」とも記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

普及版 字通 「山里」の読み・字形・画数・意味

【山里】さんり

山村。

字通「山」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山里の言及

【城】より

…(5)御殿 安土城の天主や行幸御殿は,狩野派の手になる金碧障壁画で飾られていたが,大坂城本丸には,その規模をはるかに凌駕する二つの御殿があった。対面所を中心とする表御殿と,秀吉の私的住居である奥御殿がそれで,また山里(やまさと)と称する庭園があり,松林の奥に茶室がつくられていた。このような御殿のつくり方は,大名邸や大名の居城の御殿にうけつがれた。…

【吉和[村]】より

…太田川の源流域で,川沿いにわずかに沖積低地が形成される。戦国末期,佐伯郡山間部は山里と呼ばれたが,吉和郷もそのうちに含まれた。1554年(天文23)には吉和山里一揆が毛利氏の支配に抗し,陶晴賢に味方して戦っている。…

※「山里」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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