改訂新版 世界大百科事典 「全逓三月闘争」の意味・わかりやすい解説
全逓三月闘争 (ぜんていさんがつとうそう)
全逓が,芦田均内閣により提案された2920円ベースの職階制賃金に反対し,1948年3月,官公庁労働組合の中心になって闘った賃上げ闘争。単に三月闘争ということが多い。1946年の十月闘争(産別十月闘争)や47年の二・一ストに続く大闘争となった。全逓は,この闘争で地域ごとのストライキを反復実行し,3月末には全国一斉ストライキを計画した。この方針は,二・一ストのような全国的ゼネストが禁止されたことを配慮したものであったが,GHQ経済科学局長マーカットの覚書により二・一スト同様のものとみなされて禁止され,闘争は労働者の敗北に終わった。しかし,労働運動は沈滞することなく高揚に向かい,7月22日のマッカーサー書簡発出,政令201号公布を誘発することになった。
執筆者:遠藤 公嗣
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報