八手俣村(読み)はてまたむら

日本歴史地名大系 「八手俣村」の解説

八手俣村
はてまたむら

[現在地名]美杉村八手俣

雲出くもず川の支流八手俣川下流にあり、西は竹原たけはら村に接し、北は高峰たかみね(五四七・八メートル)を経て南家城みなみいえき(現白山町)、南は八手俣川に沿ってしもがわ村に接する。北畠国永の「年代和歌抄」に、永禄一二年(一五六九)八月に当村内のきみを通り「君か野の露をもげなる小車をおりて御幸の跡をだに見む」と詠じている。文禄検地帳を転記したと思われる伊勢国中御検地高帳に村名がみえる。近世は慶長一三年(一六〇八)以降津藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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