八木岡村(読み)やぎおかむら

日本歴史地名大系 「八木岡村」の解説

八木岡村
やぎおかむら

[現在地名]真岡市八木岡

五行ごぎよう川西岸、真岡台地の南東部の小段丘上を占め、北東熊倉くまくら分。延元四年(一三三九)三月二〇日の北畠親房御教書写(結城文書)に矢木岡城がみえ、南朝方の春日顕国が下野に出陣し、二月二七日に城を落し、城中の惣領以下全員を殺したことを、親房は結城親朝に伝え、早く味方につくよう要請している。なお鎌倉末期に芳賀高房が当地を領し、「八木岳東館」に居を構え、その養子高政(小栗重宗の次男)は八木岡(岳)氏を称したという(「芳賀・小宅系図」小宅雄次郎蔵・「芳賀系図」下野国誌)。古書写秘録(坂入浩一文書)によれば、厚木あつぎ(現神奈川県厚木市)の城主厚木氏が、小田原北条氏滅亡後、八木岡に移り、篠崎佐渡と称し、その男子五人が村の各家の起源となったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む