日本歴史地名大系 「八流古戦場」の解説 八流古戦場やながれこせんじよう 高知県:安芸市八流村八流古戦場[現在地名]安芸市赤野 八流八流台地の東、穴内(あなない)との境にある。台地の先が短い岬となって土佐湾に突出るため、街道は赤野(あかの)坂を上って台地を経て八流坂を穴内村に下りた。その付近が永禄一二年(一五六九)安芸氏と長宗我部氏との合戦場で、安芸氏の砦があったが、その位置は明らかでない。合戦は香美郡岸本(きしもと)(現香我美町)の姫倉(ひめくら)城攻防戦から始まったが、安芸勢は姫倉城、和食(わじき)(現安芸郡芸西村)の金岡(かなおか)城を攻め落され八流砦に拠った。安芸に攻め入るには八流坂を通るか八流に続く妙見(みようけん)山(四四八メートル)を越えるほかは道がないため、長宗我部勢は偽計をもって空舟に幟を立て貝を吹き船べりをたたいて鬨をあげ海を渡ると見せ、一方で激しく攻め立てた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by