日本歴史地名大系 「八流村」の解説 八流村やながれむら 高知県:安芸市八流村[現在地名]安芸市穴内(あなない) 八流、赤野(あかの) 八流西は赤野村、東は八流坂を隔てて穴内村に接し、南は土佐湾に面した台地に位置する。海岸沿いに土佐街道(東街道)が通る。天正一七年(一五八九)の下分和食地検帳のうちの赤野村地検帳に「ヤナカレ」の地名がみえる。「土佐物語」「元親記」は「矢流」と記し、「土佐州郡志」は「矢流山 或云山中渓流八道有リ故ニ八流山ト、一説ニ矢流山ハ古戦場也、敵ト相持スルトキ天大ニ雨マリ渓水暴ク漲リ矢千束ヲ流ス、ヨリテ矢流山ト謂」と記している。戦国時代安芸氏の出城八流砦があり、永禄一二年(一五六九)には安芸氏と長宗我部氏との合戦場となった。元禄郷帳に「八流村新田」として一五・一四石が記され、江戸時代前期に開発された新田村であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by