安芸市(読み)アキシ

デジタル大辞泉 「安芸市」の意味・読み・例文・類語

あき‐し【安芸市】

安芸

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「安芸市」の解説

安芸市
あきし

面積:三一八・七四平方キロ

旧安芸郡の西部を占め、南は土佐湾に面し、安芸川・伊尾木いおき川二河川によって形成された安芸平野を中心に、その周辺部の広い山地からなる。北は四国山地に連なる五位ごいもり(一一八四・八メートル)久々場くくば(一四一七メートル)烏帽子えぼしもり(一三二〇・二メートル)稗巳屋ひえごや(一二二八・三メートル)などの山々が連なるが、東部と西部の山地は低いなだらかな段丘となって海岸に接する。海岸線に沿って土佐街道(東街道、国道五五号)が通じ、伊尾木川に沿ってさかのぼれば徳島県那賀なか木頭きとう村に、安芸川沿いにさかのぼれば香美郡物部ものべ村に通じる。

〔原始・古代〕

高知県東部は西部に比べ、考古遺跡の発見が少なく、市域にはまだ縄文遺跡の発見はない。弥生時代の遺跡では、安芸川沿いに銅矛の一部を出土した江川えがわ遺跡、小児用壺棺墓の出土した日林坊にちりんぼう遺跡など、伊尾木川流域では明治初期に銅鐸二個を出土した伊尾木遺跡や、石剣の出土した川北八坂かわきたやさか遺跡がある。また妙見みようけん山東麓一帯には、中期末の土壙墓などの見付かった清近岡きよちかおか遺跡がある。古墳は同所北方のくち古墳がわずかな例で、古墳時代後期の集落関係遺跡としては川北遺跡が知られる。

養老二年(七一八)五月、土佐国司は都から土佐国府への官道として、阿波から海岸沿いに南下する道を申請、認められた(続日本紀)。これはのちの土佐街道(東街道)にあたるといわれる。この官道は安芸市域も通ったことになるが、延暦一五年(七九六)官道は四国山地を横断する北山越に変わっている(日本紀略)

安芸平野は安芸郡内では最も大きな耕地が広がり、早くから開かれた地で、「和名抄」東急本記載の郷も安芸郡八郷のうち、丹生にう布師ぬのし玉造たまつくり黒鳥くろどりの四郷が当市内に比定され、うち丹生郷以外の三郷が安芸平野内である。安芸平野には条里制の地割も残り、東は市街地の東側から、土居どいを経て井ノ口に通じる道路の西側、西は黒鳥の集落の東側まで、南は市街地西側、北は僧津そうづの南までの地域に顕著である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安芸市」の意味・わかりやすい解説

安芸〔市〕
あき

高知県の東部,安芸平野の中心都市。土佐湾に面する。 1954年安芸町と土居,井ノ口,畑山川北,伊尾木,東川,赤野の7村が合体して市制。 55年西川村の一部を編入中世には東部土佐の豪族安芸氏の居城地であり,江戸時代には土佐藩家老五藤氏が居住した。中心市街地は,安芸川河口西岸,土佐浜街道 (国道 55号線) 沿いにあり,県東部の行政,商業,文化の中心をなす。伊尾木川,畑山川の上流域の山岳地帯は広大な国有林をもち,木炭,用材の産地。市街地周辺の平野部では,野菜の促成栽培が行われる。安芸瓦,陶器の製造や醸造業などもみられる。伊尾木洞のシダ群落 (天然記念物) のほかに,安芸国虎墓,安芸氏の居城跡,武家屋敷跡 (いずれも土居) ,岩崎弥太郎生家 (井ノ口) などがあり,一部は手結 (てい) 住吉県立自然公園に含まれる。面積 317.21km2。人口 1万6243(2020)。

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