日本歴史地名大系 「八筋川村」の解説 八筋川村やすじかわむら 千葉県:佐原市八筋川村[現在地名]佐原市八筋川、茨城県稲敷(いなしき)郡東(あずま)村八筋川(やすじがわ)新(しん)島に開発された十六島(じゆうろくしま)新田の一つ。大島(おおしま)村の南西に位置し、南は長島(ながしま)村、西を横利根川が流れる。対岸に枝郷卜杭(ぼつくい)村(現東村)がある。天正一九年(一五九一)大堀佐兵衛が開発したという(「浄光寺過去帳」浄光寺文書)。これに対して、慶長五年(一六〇〇)名主左京が西代(につしろ)村(現同上)の五郎右衛門に出願させ開起したともいわれ、元和元年(一六一五)の家数一一で、地内「げんかい嶋」(源海島、のちの卜杭村)にも家数七がみられる。 八筋川村やすじがわむら 茨城県:稲敷郡東村八筋川村[現在地名]東村八筋川、千葉県佐原市八筋川横利根川沿岸の低地にあり、北は境島(さかいじま)村・大島(おおしま)村。天正一九年(一五九一)に大堀佐兵衛の開発と伝え、十六島(じゆうろくしま)の一で、下新島(しもしんしま)一〇ヵ村のなかにあり、大堀家はその後代代名主を務めた(佐原市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by