日本歴史地名大系 「六箇村」の解説 六箇村ろつかむら 新潟県:十日町市六箇村[現在地名]十日町市 中村(なかむら)・山谷(やまや)・麻畑(あさばたけ)・田麦(たむぎ)・二ッ屋(ふたつや)・船坂(ふなざか)・塩之又(しおのまた)川治(かわじ)村の南西に羽根(はね)川に沿って下流から中村・山谷・麻畑・田麦・野中(のなか)・二ッ屋・船坂・塩之又・辰(たつ)ヶ平(たいら)の集落が続く。川沿いに栃窪(とちくぼ)峠越で塩沢(しおざわ)村(現南魚沼郡塩沢町)へ至る道は往時の脇街道の一で、関東通・江戸街道などの名称があった。近世には田麦坂の登り口に代官地蔵(だいかんじぞう)とよばれる番小屋があり、公力という御用人足がたむろしていたという。上杉氏の時代には二ッ屋にも伝馬があって、伝馬料二五石をもらっていたという(随想妻有郷)。船坂は文禄五年(一五九六)二月二八日の与兵衛佐某証状(徳永市太郎氏蔵)に「ふな坂村」とみえ、同村新六に宛てて「今度ふな坂之地へふたいかへりのそミにて候間、早々相帰候、当年之儀者立帰二度、来年よりハ百姓衆なりたるへく候、但七年之分者、さんてんニ出之候処実正也、右如件」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by