日本歴史地名大系 「兼久池」の解説 兼久池かねさいけ 愛媛県:周桑郡丹原町高松村兼久池[現在地名]丹原町高松愛(あい)ノ山(やま)の麓、高松(たかまつ)川との間の兼久にある。松山藩代官星野七郎正直記の「新成池塘記」によると、二年半の工事で寛政三年(一七九一)四月一五日に完成したもので、「寛政元年己酉十一月九日官許可之、同十二月七日肇載、迄于此日功成、功役凡八万五千有余、新築堤防二百二十歩、有其池之周回八百五十歩、池中蓄水処絶長補短凡十一万八千八百坪也」と大規模なものであった。造成決定前には中山川の水位との高低をめぐって反対もあったが、来見(くるみ)村の里正喜三左衛門が夜間提灯を配置して高低を調査して疎水可能を主張して池造成を決定したが、彼は池完成直後に暗殺されたと伝えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by