日本歴史地名大系 「高松村」の解説
高松村
たかまつむら
〔中世〕
享禄(一五二八―三二)頃と推定される七月二〇日の金津庄村々納銭注文案に公用銭六五貫二五七文のうち四貫五六一文が「高松村納」とみえる。延徳三年九月に固定化したものを再編した天文六年(一五三七)正月の金津庄高松村名別公事銭等納帳に、
高松村
たかまつむら
- 山形県:上山市
- 高松村
上山城下の南、
近世、当村では障子用大奉紙や帳簿用紙などを生産、上山藩は米沢藩の
高松村
たかまつむら
周桑平野の南西部に位置し、東は
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
山麓一帯に古墳文化遺跡があり、兼久の
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
- 栃木県:足利市
- 高松村
高松村
たかまつむら
- 秋田県:湯沢市
- 高松村
雄物川の支流高松川に沿って集落が点在し、
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図には三六二石とある。宝永二年(一七〇五)の雄勝郡村々御黒印高牒(秋田県庁蔵)では、高は本田四七一石四斗五升七合、新田二七一石六斗二升七合、計七四三石八升四合(当高六八一石一斗二升八合)。
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
- 大阪府:堺市
- 高松村
慶長一七年(一六一二)水割符帳(田中篤家文書)によると、
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
- 鳥取県:境港市
- 高松村
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
高松村
たかまつむら
- 宮崎県:串間市
- 高松村
高松村
たかまつむら
- 愛知県:一宮市
- 高松村
高松村
たかまつむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報