丹原町(読み)たんばらちよう

日本歴史地名大系 「丹原町」の解説

丹原町
たんばらちよう

面積:一二九・五一平方キロ

周桑郡の西部に位置し、東は小松こまつ町に、南は上浮穴かみうけな面河おもご村に、西は温泉おんせん郡に、北は東予とうよ市に接する。この地域は南部から西部に広がる奥深い山間部と、西から東へ貫流する中山なかやま川・関屋せきや川の谷口大扇状地と、周桑平野の西部を占める水田地帯とからなる。国道一一号がほぼ中山川に沿って東西に走り、中山越をして温泉郡川内かわうち町を経て松山市に通ずる。

考古学遺跡・遺物としては、願連寺がんれんじ出土の中細形銅剣や、高松の中森たかまつのなかもり外森そともり古墳などがみられる。


丹原町
たんばらまち

[現在地名]丹原町たんばらちよう丹原

周桑平野の西部に位置する。東は周敷しゆうふ(現東予市周布)に、南は今井いまい村・願連寺がんれんじ村に、西は今井村・池田いけだ村に、北は池田村願連寺村に接する。幅員東西四町、南北三町五四間。

松山藩により計画的に造られた物資集散のための在町で、慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)から天保郷帳までの幕府公用帳には村名がなく、宝永七年(一七一〇)の松山藩の「周布郡大手鏡」に「丹原町」と記されている。同書によると今井村・池田村・願連寺村に囲まれた原野に、正保元年(一六四四)に長さ四町、横幅六〇間の在町を建設し、その地域に同四年に松並木を植えたので、この町を「松の町」ともよんだという。また「町立初三年目正保三年勝山様御茶屋建普請御公儀より被仰付候」と丹原町御茶屋が建てられたことがみえ、宝永六年からは、御茶屋守りに一人扶持が与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android