内上庄(読み)うちかみのしよう

日本歴史地名大系 「内上庄」の解説

内上庄
うちかみのしよう

武庫(むこ)川中流域右岸丘陵、現下内神(しもうちがみ)・中内神・上内神一帯に比定される庄園。文永五年(一二六八)一一月一三日の亀山天皇宣旨案(壬生家文書)に「内上庄」とみえ、円助法親王が故覚仁親王から譲られた円満(えんまん)院(現滋賀県大津市)桜井宮門跡領であった。当庄は東方と西方(か)に分れており、応永一一年(一四〇四)一一月二四日の摂津国内上庄東方年貢算用状(宝鏡寺文書)によれば、東方は二〇町五反大・年貢七一石九斗余(けん六手作分田七町八反半・分米五〇石一斗余、公田一〇町五反半・分米五石二斗余、一色分二町一反大・分米一一石五斗余)で、領家年貢は一二石一斗余、地頭年貢四五石余のうち三一貫八二〇文が京都に進上されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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