要証事実の存否に関して裁判所が判断を下す根拠となる資料。裁判所が事件について判決するには,証拠に基づいて誤りなく事実を認定する必要がある。近代前の裁判手続では,裁判の結果を神意により決定する方法(神判)がとられる傾向があった(例えば,日本の古代の盟神探湯(くかたち))。近代以後はこうした傾向が克服されただけでなく,さらに事実認定をできるだけ合理化,客観化することが図られた。すなわち,判決の基礎となる事実や知識は,裁判所が単に偶然的主観的に獲得したのでは足りず,事実認定の過程を客観的に公判廷に顕出し,裁判所ばかりでなく,当事者もこれを感得し,その評価または意見を述べる機会を持つようにしたのである。このように,裁判所の事実認定や知識獲得の手がかりとなるものが訴訟における証拠であり,これを収集,認識する手続が証拠調べである。刑事訴訟法は,とくに〈事実の認定は,証拠による〉と明文で規定している(317条)。これを証拠裁判主義という。
訴訟で用いられる証拠は多種多様であって,さまざまの観点からの分類が可能である。
(1)要証事実の痕跡は,人の知覚に残る場合と,それ以外の物に残る場合がある。人の知覚に残ったときは,記憶,表現,叙述を経て,裁判所の知覚に達するが,これを供述証拠という。人の知覚以外の物に残ったときは,裁判所自身がその物を知覚する必要がある。これを非供述証拠という。
(2)要証事実を直接に証明する証拠を直接証拠といい,それ以外の証拠を間接証拠という。間接証拠によって証明された事実(いわゆる間接事実)は,要証事実を推認する根拠となる。
(3)証拠調べが終了したにもかかわらず,要証事実の存否が確定されない場合に,不利益な認定を受ける当事者の地位を指して,挙証責任というが,民事訴訟では,挙証責任を負う者が提出する証拠を本証といい,その相手方が提出する証拠を反証という。刑事訴訟では,挙証責任は原則としてすべて検察官が負うのであり,そこでは反証とは,本証に対するものとしてではなく,むしろ,挙証責任の有無とは無関係に相手方の証拠の証明力を争うために提出する証拠を指す。
(4)証拠が要証事実の存否の証明に向けられるとき,これを実質証拠といい,この実質証拠の信憑(しんぴよう)性の強弱に影響を及ぼす事実(例えば,証人の供述の信用性に関する事実)を証明する証拠を補助証拠という。補助証拠には,実質証拠の証明力を弱くする弾劾証拠と,強くする増強証拠がある。刑事訴訟では,証人等の供述の証明力を争うための証拠については,証拠提出の効果がその目的に限定される代わりに,証拠能力の制限が緩和される(刑事訴訟法328条)。
(5)証拠は,証拠調べの方法の違いによっても分類される。刑事訴訟では,証人,鑑定人,通訳人,翻訳人は尋問し,証拠書類は朗読し,証拠物は展示して取り調べる(304条,305条,306条)。書面の内容とともに書面そのものの存在または状態が証拠となるもの(例えば,名誉毀損の文書)を〈書面の意義が証拠となる証拠物〉といい,これを取り調べるには,朗読および展示が必要である(307条)。なお,証人等を一括して人証,証拠書類および〈書面の意義が証拠となる証拠物〉を書証,その他の証拠物を物証と呼ぶことがある。民事訴訟では,証人,鑑定人,当事者本人は尋問によって取り調べ(民事訴訟法190条,216条,207条),これらを一括して人証と呼ぶ。文書の内容が証拠となるときは,これを提出,閲読して,その意味内容を収得する。この証拠調べの手続を書証という(219条)。裁判所が直接に事物の性状,現象を検査してその結果を証拠として用いる手続を検証といい(232条),その対象となるものを検証物という。文書と検証物とをあわせて物証と呼ぶ。
(6)生存する人間が証拠となるとき,これを人的証拠と呼び,それ以外の物が証拠となるとき,これを物的証拠と呼ぶ。この区別は,証拠を取得する強制処分の方法の差異に関連がある。人的証拠については,召喚,勾引がなされるが,物的証拠については,押収が用いられる。なお,人的証拠と物的証拠の区別は,(5)の意味での人証と物証との区別とは必ずしも一致するわけではなく,例えば,傷の状態,体格等の人の身体状況が証拠となる場合は,(5)の物証であると同時に(6)の人的証拠でもある。
(7)さらに,証拠という用語自体,多義的に用いられる。すなわち,証拠調べの対象である有形物,証拠調べによって認識された無形の内容,要証事実の認定の根拠となったすべての資料のいずれをも指すことがある。これらは,それぞれ,証拠方法,証拠資料,証拠原因と呼んで区別している。例えば,証人は証拠方法であり,その証言内容は証拠資料である。民事訴訟では,証拠原因には証拠資料のほかに〈弁論の全趣旨〉が含まれる(247条)。刑事訴訟では,証拠資料以外に証拠原因となりうるものは存在せず,この区別の実益は乏しい。
証拠に関する法的規制の全体を証拠法という。その内容は,大別すると,証拠能力や証明力に関するもの,証明活動の範囲や性質に関するもの,証拠調べの方法に関するものである。
(1)証拠能力とは,証拠が公判廷において取調べを許容されるための要件である。民事訴訟では,証拠能力についての制限がないのが原則である。ただし,証人適格のない者の証言は,証拠能力なしとして採証されないし,疎明(後述)の場合には即時に取調べのできる証拠に限定されること(188条)や,手形訴訟,小切手訴訟では原則として書証に限られること(352条)が,証拠能力の制限に数えられることもある。
他方,刑事訴訟では,種々の理由による証拠能力の制限がある。まず,証拠が要証事実に対して必要最小限度の証明力すら持っていないときは,関連性がないとして,証拠能力が認められない。次に,必要最小限度の証明力はあるが,その証明力の評価を誤らせるおそれのある証拠については,一定の要件が充足されないと証拠能力が認められない。任意性のない自白(憲法38条2項,刑事訴訟法319条1項),反対尋問を経ない供述(伝聞証拠。憲法37条2項,刑事訴訟法320条)には,証拠能力がない(ただし,伝聞証拠については,刑事訴訟法321条ないし328条の規定する各要件にあてはまるときは,例外的に証拠能力が認められる)。さらに,その証拠を用いることが刑事手続の適正を害するものであるときは,証拠能力が否定される(証拠禁止)。例えば,憲法35条の規定する令状主義の趣旨を没却するような違法手続で押収された物は,証拠として許容されない。
(2)証拠能力のある証拠が裁判所の心証を動かす力を,証明力という。民事訴訟では,証拠力または証拠価値ともいう。証明力の評価の方法については,法律的な制約がなく,裁判所が経験則に従って合理的に心証を形成することとされている(自由心証主義。刑事訴訟法318条,民事訴訟法247条)。一定の証拠がなければある事実を認定できないとし,あるいは,一定の証拠があれば必ずある事実を認定しなければならないとする法定証拠主義は,現行法の採るところではない。ただし,例外的に,自白の証明力は制限され,自白のみに基づいて有罪判決をすることはできない(憲法38条3項,刑事訴訟法319条2,3項)。また,行政委員会が準司法手続によって行った審判の適否を裁判所が審査する場合に,行政委員会のした事実認定が実質的な証拠を基礎としている限り,裁判所はこれに拘束される(実質的証拠法則。例えば,公正取引委員会の認定した事実につき,独占禁止法80条)。なお,刑事訴訟では,裁判官の自由心証にゆだねられるのは,証拠の証明力であって,証拠能力については法律上の規制に服するが,民事訴訟で自由心証主義というときは,証明力の自由な評価のみならず,証拠能力が原則として制限されず広範囲の証拠の使用が許されることもその内容とされる。また,民事訴訟では,口頭弁論の全趣旨(例えば,当事者の陳述の態度,攻撃防御方法の提出時期)も心証形成の基礎となる(民事訴訟法247条)。
(3)裁判の基礎として明らかにすべき事項について裁判所が確信を抱いた状態,またはこのような状態に達するよう証拠を提出する当事者の活動を,証明という(これに対し,証明には至らないが,裁判所が一応確からしいとの心証を形成してよい状態,またはそのような状態に達するよう証拠を提出する活動を疎明といい,迅速な処理を要する事項や手続的派生事項については,疎明で足りるとされることがある)。証拠によって証明すべき対象は,事実であるが,例外的に,裁判所に不明な外国法,慣習法,経験則の存在およびその内容が証拠により確定されることがある。証拠によって証明すべき事実の範囲および程度については,〈厳格な証明〉と〈自由な証明〉の区別がある。刑事訴訟では,適法な証拠に基づき法定の証拠調べを行ってする証明を〈厳格な証明〉といい,公訴事実の存否についてはこれによらなければならない。公訴事実以外の事実,とくに訴訟法上の事実については,このような証拠能力の要件,証拠調べの手続は不要であって,これを〈自由な証明〉という。さらに,簡易公判手続での事実認定および刑の量定に関して,証拠能力の要件は緩和されるものの適法な証拠調べを要するものとする〈適正な証明〉という観念を付け加える学説がある。民事訴訟でも,近時,厳格な証明と自由な証明との区別を認め,職権調査事項の前提事実を認定するには自由な証明で足りるとする説が有力である。証明の必要な事実の範囲は,いくつかの理由から縮減される。まず,公知の事実(一般人であれば当然知っている事物の状態や一般的情報,確実な資料で容易に確かめられる暦日,歴史上の事実等)については,証明は不要である。次に,法律上の推定規定があるときには,要証事実を直接証明する必要はなく,前提事実の証明を行えばよい。さらに,民事訴訟では,当事者が自白した事実または自白したとみなされる事実,および裁判所に顕著な事実についても証明は不要である(民事訴訟法179条,159条。民事訴訟では,裁判所に顕著な事実には,公知の事実のほか,職務上顕著な事実が含まれる)。証明の水準として,刑事訴訟では,検察官は公訴事実を合理的な疑いを超えて立証することが必要とされる。挙証責任が原則的に検察官にあることと相まって,これが被告人の〈無罪の推定〉を基礎づけている。民事訴訟では,証明の水準はやや緩和されている一方,挙証責任の分配が重要な課題となっている。判断の対象である権利関係の法規上の要件事実の性質により挙証責任を分配する法律要件分類説が通説である。
(4)証拠調べの手続については,多数の規定により,手続の適正化,事実認定の正確化が図られている。証拠調べを施行するにあたって,証拠決定をする。刑事訴訟では,証拠により証明すべき事実を陳述する冒頭陳述がなされ,証拠調べの請求がなされた後,これを採用しまたは請求を却下する旨の証拠決定をしなければならない(職権で証拠調べを行うときも同様である。刑事訴訟規則190条)。民事訴訟では,証拠調べを行う決定のみを証拠決定と呼ぶが,つねに必要とされるわけではない。また,証拠決定があっても,挙証責任の確定や弁論範囲の限定の効果が伴うわけではない。証拠調べの手続は,証拠の種類に応じて,民事訴訟では尋問,書証,検証によって,刑事訴訟では尋問,朗読,展示によって行う。近時,科学的証拠等の比重が増大してきたが,これらを刑事訴訟で用いるときは,単に展示するだけではなく,例えば,録音テープであればこれを再生する等の適切な方法により,証拠調べを行う必要がある。なお,刑事訴訟では,有罪判決には必ずその認定の基礎となった証拠の標目を掲げなければならない(刑事訴訟法335条)。
→情況証拠 →証明
執筆者:長沼 範良
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
訴訟法上、裁判所に事実の存否について心証を得させるための資料をいう。証人や書証のような証拠方法、または証人の証言や書証の内容のような証拠原因をいうのが普通である。証人の申請や書証の提出のような立証手続または要証事実に対する証拠の効果(証明)を表現する場合もある。
[内田一郎]
刑事訴訟における事実認定は証拠によることになっている(刑事訴訟法317条)。すなわち、罪となるべき事実(同法335条1項)または犯罪の特別構成要件に該当する事実の認定は、厳格な証拠、換言すれば、証拠能力がありかつ適法な証拠調べを経た証拠によることを必要とする(証拠裁判主義)。被告人は有罪とされるまでは、無罪と推定される。被告人が特定の犯罪について有罪であることを厳格な証拠で、合理的な疑いを超える程度まで立証する責任(実体的挙証責任)は、検察官が負担する。すなわち、疑わしきは被告人の利益に解されるのが原則である。証拠の証明力(証拠価値)は、裁判官の経験法則および論理法則にのっとった合理的な自由な判断にゆだねられている(同法318条、自由心証主義)。証拠の種類としては、以下のようなものがある。
(1)人証(証人や鑑定人など)、物証(証拠物)、書証(証拠書類)
(2)直接証拠、間接証拠(情況証拠)
(3)本証(罪証)、反証(要証事実に反対な事実を証明する証拠)
挙証の客体について、要証事実、不要証事実(公知の事実など)、挙証禁止事実の区別がある。証拠能力の点については、以下のように規定されている。
(1)強制、拷問または脅迫による自白、不当に長く抑留または拘禁されたのちの自白、その他任意にされたものでない疑いのある自白は、これを証拠とすることができない(同法319条1項・3項、憲法38条2項)。
(2)公判期日における供述にかえて書面を証拠とし、または公判期日外における他の者の供述を内容とする供述を証拠とすることは原則としてできない(刑事訴訟法320条1項)。ただし広い範囲で例外が認められている(同法321条以下)。
(3)学説・判例は、違法な捜索、押収によって獲得された証拠物の証拠能力を一定の要件のもとで否定している(昭和53年9月7日最高裁判所第一小法廷判決)。
証拠の証明力の点で、被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の証拠である場合には、有罪とされない(同法319条2項・3項、憲法38条3項)。すなわち、自白には補強証拠を必要とするという点で自由心証主義の唯一の例外となっている。
[内田一郎]
裁判所が争いのある事件について判決するには、事実関係が確定され、これに適用する法規が明確にならなければならない。民事訴訟においては、このなかで当事者の弁論の結果によって決まり、裁判上の自白のように確かめる必要のないものもあるが、そうでない限りは、裁判所は判決するについて法規に当てはめるべき事実を自ら認定しなければならない。この際その事実認定が裁判官の主観的・恣意(しい)的判断でなく、客観的に公正であると認められることを担保するためには、その資料が訴訟審理によって収集され提出されたものであることが要求される。ここに訴訟における証拠の必要がある。つまり、前記のような判断のための材料が証拠であって、換言すれば、裁判官が視覚や聴覚などの五官の作用によって獲得する訴訟上の手段、方法、その獲得した資料などをいい、次のようにいろいろの意味に用いられている。
(1)証拠方法 当事者が裁判所に事実の真偽を判断させるためにその取調べを求め、また裁判所が事実認定の資料を得るために取り調べる有形物(証人、鑑定人、当事者本人、文書、検証物の5種)。
(2)証拠資料 裁判所が証拠方法を取り調べることによって感知した内容(証言、鑑定意見、証拠方法としての当事者本人の供述、文書の記載内容、検証の結果など)。
(3)証拠原因 裁判所が事実認定をするにあたり現実にその心証の基礎となった証拠資料や情況(証拠調べの結果、裁判官が信用できる証言、弁論の全趣旨など)。
(4)証拠能力 証拠になりうる材料、つまり証拠方法が証拠の適格をもつことをいう。すべての証拠方法は、原則として証拠能力をもつが、民事訴訟法においては例外として証拠能力を否定している場合がある。特定事項につき特定人に証人義務を課さない(民事訴訟法191条1項)のはその例である。
(5)証拠力 証拠調べの結果、裁判所が立証の客体について心証を得るに至った効果をその証拠の立場から証拠力という。このほかの分類方法として、人証と物証、本証と反証、直接証拠と間接証拠、単純証拠と総合証拠などがある。
[内田武吉・加藤哲夫]
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字通「証」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…訴訟手続上違法な手段・方法により収集ないし獲得された証拠。従来,おもに刑事訴訟との関係で,その証拠能力が問題とされてきた。…
※「証拠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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