改訂新版 世界大百科事典 「内外綿会社」の意味・わかりやすい解説
内外綿会社 (ないがいわたかいしゃ)
中国における日本資本紡績業(在華紡)の代表的存在。1887年8月大阪の繰綿問屋4店を中心に創立(資本金50万円)され,国産綿のほかタタ商会と提携してインド綿,アメリカ綿を取り扱った。三大綿花商社の一つであったが,日露戦争後には産地直買いの動きに立ち遅れて綿商業を縮小し,大阪撚糸(1903),日本紡織(1905)を買収して紡績業に進出した。中国での綿関係品商業の経験を前提に,大陸進出論者川邨(かわむら)利兵衛取締役の主唱によって1911年上海に第3工場(2万錘)を建設し,工場新設による在華紡の嚆矢(こうし)となった。17年青島,25年金州に進出し,37年日中戦争直前には上海9工場,青島3工場,金州3工場,46万錘を擁して在華紡錘数の20%を占めた。一方,25年の五・三〇事件など中国の民族的労働運動の中心的舞台の一つともなった。敗戦によって全在外資産を接収され,48年12月第二会社として新内外綿・日本水力工業を設立して49年2月解散した。
執筆者:高村 直助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報