百科事典マイペディア 「紡績業」の意味・わかりやすい解説
紡績業【ぼうせきぎょう】
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繊維から糸を紡ぐ産業で綿糸紡績業が代表的。開港後の安価な綿製品輸入により,手紡ぎ衰退と輸入機械による工場建設が始まり,政府の二千錘紡績奨励に続いて一万錘紡績が勃興し,1890年(明治23)に生産が輸入を上回った。最新のリング紡績機導入と若年女子の2交替制深夜業で中国などへの輸出を伸ばし,97年には輸入を上回った。20世紀に入ると大紡績への集中と兼営による綿布生産が進んだ。第1次大戦後には中国に進出し(在華紡),深夜業禁止に対応して合理化を進めたが,通商摩擦激化で輸出の展望を失い,第2次大戦時には整理・転用の対象とされた。戦後には一時外貨獲得の花形となったが,後発国に追い上げられ,60年代末に綿糸は入超に転じた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
…【佐藤 秀夫】
【企業における寄宿舎】
雇用主が雇用労働者を集団的に宿泊せしめるための施設であるが,普通はいわゆる女工のためのものを指す。以下,綿糸紡績業の場合を中心に説明する。日本の紡績業は1880年代の後半から対外競争力を持つようになったが,これに大いに寄与したのが寄宿舎制度であった。…
…中国において日本資本が経営した紡績業。三井物産上海支店が1902年興泰紗廠買収を主導してこれを上海紡績に改組し,その経営を引き受けたのをはじめとして,11年にはやはり商社の内外綿会社が上海に工場を建設して進出した。…
…【川北 稔】
【日本の産業革命】
日本の産業革命は,松方財政による紙幣整理と広範な農民の没落を前提にして,1886‐89年の企業勃興をもって始まり,日清・日露戦争の間に急速に進展し,日露戦後の1910年ころに終了し,日本資本主義の確立をみるにいたる。1886‐1909年の工場数・労働者数の増加に示されるように,その過程で工場制工業の発達を主導したのは,紡績業と製糸業を先頭とする綿・絹2部門の繊維工業であった(表)。そのほかでは,官営工場の比重の高さと,運輸通信業・鉱山業における労働者数の増加が注目される。…
…繊維原料または繊維を加工して繊維製品を生産する工業。具体的には生糸を製造する製糸業,綿,化学繊維,羊毛,絹,麻などの糸を製造する紡績業,撚糸(よりいと)を製造する撚糸(ねんし)製造業,各繊維の糸から織物を製造する織物業(織物工業),ニット製品を製造するニット製造業,糸,織物などの染色,漂白などを行う染色整理業,綱や漁網を製造する綱・網製造業,レースや組紐(くみひも)などを製造するレース・繊維雑品製造業などがある。洋服などのファッション性の強い繊維製品については〈アパレル産業〉〈ファッション産業〉の項目を参照されたい。…
…
[繊維工業の主導性]
第3に,それと対照的に繊維(紡織)工業が民間の工場制工業発達において主導的地位を占め,資本主義経済の基軸を構成していったことである。日本の繊維工業は綿業と絹業の二大部門から構成されていたが,工場制工業の発達を主導したのは綿業の紡績業と絹業の製糸業である。紡績業は紡績機械と原料綿花を輸入に依存し,最初から典型的な機械制大工業として発達し,輸入インド綿糸と対抗して国内市場を制覇するや,いち早く朝鮮および中国市場へ進出し,日露戦争後には朝鮮市場を支配し,中国市場でもインド綿糸を圧倒するに至る。…
※「紡績業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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