日本歴史地名大系 「内構町」の解説 内構町うちがまえちよう 京都市:上京区室町学区内構町上京区御霊前通室町東入中央を東西に御霊前(ごりようまえ)通が通り、東は烏丸(からすま)通。天正二〇年(一五九二)に既に「内構町」とよばれていた(上下京町々古書明細記)。室町時代、町の南に細川勝元邸があり、町名はその構えの内の意という(坊目誌)。明治維新前、上古京上立売親九町組に属した枝町で、二二軒役を負担。室町幕府の管領細川勝元邸は「応仁記」文正二年(一四六七)一月一七日条に「上御霊ヘ打上テ藪ヲ小楯ニトリ戦バ、一端抱ヘ候ヒナン、若及難儀候トモ、京兆(勝元)ノ矢倉ノ前ニテ、サリトモ無下ニ討死サセテ御覧ゼラレ候ハンヤ」とあり「京兆の矢倉」とは勝元邸をさすとされている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報