矢倉(読み)やぐら

改訂新版 世界大百科事典 「矢倉」の意味・わかりやすい解説

矢倉 (やぐら)

日本の中世に納骨や供養を目的とするため,山腹に掘り込まれた岩穴。〈やぐら〉という呼称は,中世の文献には岩屋,岩殿,岩屋殿などの名で呼ばれているものが相当すると思われ,近世になって矢倉,谷倉,窟,巌窟などの字をあてている。鎌倉を取り巻く丘陵にはきわめて多く存在するが,鎌倉を離れるとその分布は粗となり,地域的特色をもつ。鎌倉時代に出現し,室町時代中ごろまで営まれたと考えられ,初期には7~8世紀の横穴墓の開口したものを利用した例もある。矢倉への被葬者は,武士,僧侶などの階層である。矢倉の基本形は二つの矩形平面形で,奥の2~4mを1辺とする室(玄室)と入口から玄室へ続く部分(羨道)とに分けられる。側壁は垂直で,天井は平らにつくられ,入口には扉をつけることが普通である。室町時代になると玄室はより小型化し,羨道との境がなくなってくる。玄室内には遺体を埋葬するための納骨施設や,供養の本尊としての仏像,供養塔(五輪塔宝篋(ほうきよう)印塔板碑(いたび))なども安置されている。矢倉は1穴だけで存在することはまれで,一般的には群集して所在している。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢倉」の意味・わかりやすい解説

矢倉
やぐら

鎌倉時代中ごろより室町時代前半にかけて鎌倉地域(現神奈川県鎌倉市)を中心としてつくられた墳墓の一型式である。「矢倉」は宛字(あてじ)で、「窟」を鎌倉では江戸時代より「やぐら」と称呼してきている。

 鎌倉は、三方が山、一方が海の地形のため都市域が限定されている。そこで、山の斜面が墳墓地に選ばれ、斜面の凝灰岩(ぎょうかいがん)を横穴状に掘って「やぐら」が営まれた。形状は、古墳時代より平安時代にかけて築造された横穴墓と類似し、1辺2~4メートルの矩形(くけい)状の玄室に遺骸(いがい)・遺骨を埋葬し、あわせて被葬者供養(くよう)などのため石製の仏像・塔婆(とうば)が配された。

 現在、約1200基の存在が知られ、律宗教団との関係において出現し、以降、平地の墳墓堂にかわって一般化して発達したものと説かれている。初期のものは内部構造に木造建築の影響が認められている。

[坂詰秀一]

『大三輪龍彦著『鎌倉のやぐら――もののふの浄土』(1977・かまくら春秋社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「矢倉」の意味・わかりやすい解説

矢倉
やぐら

軟質岩山横穴状にうがった納骨施設。鎌倉~室町時代に営まれた。鎌倉付近を中心に,三浦半島に多く密集している。

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世界大百科事典(旧版)内の矢倉の言及

【横穴】より

…古墳時代中期後半のものが多い。このほか,横穴や地下式横穴に類する施設は後の時代にもしばしばつくられたが,中世の鎌倉を中心に営まれた横穴式の納骨室は矢倉(やぐら)と呼ばれ,他と区別されている。【和田 晴吾】。…

※「矢倉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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