室町通(読み)むろまちどおり

日本歴史地名大系 「室町通」の解説

室町通
むろまちどおり

平安京開設時に開かれた室町小路にほぼ該当。当初の道幅は四丈。上・中・下京南北貫通応仁文明の乱で四条以南は荒廃したが、豊臣秀吉の市街地整理によって再開。幕末期に至るまで、一条通以北・七条通以南は町場化せず各々小山こやま(現北区)東塩小路ひがししおこうじ(現下京区)とよばれた。

本通名の由来について宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」に

<資料は省略されています>

と記される。

室町通は、のちに室町時代とよばれるように、一つの通り名が一時代を画する呼称にまでなった。永和四年(一三七八)足利義満は東は烏丸小路からすまこうじ北、西は室町小路北、北は持明院大路、南は北小路に限られる地に「花の御所」とよばれる新第を造営(後愚昧記)、永徳元年(一三八一)には後円融天皇を迎えて落慶供養式を行っている(空華日用工夫集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「室町通」の意味・わかりやすい解説

室町通【むろまちどおり】

京都市中を南北に走る通りで,平安京開設時に開かれた室町小路にほぼ該当。1378年足利義満はこの通りに面する一画に〈花の御所室町殿)〉とよばれる新第(てい)を造営,そのため一つの通りの名が室町時代という一つの時代を画する呼称にまでなった。この時期,室町小路には多数富裕な商人が軒を並べており,特に三条から五条の間には,酒屋土倉油屋などが密集していた。その後,応仁・文明の乱で一時荒廃するが,京都の中では早く復興をみ,以後京都のもっとも繁華な地域として発展,呉服屋など織物関係の商家・職人が集住する通りとなった。→室町幕府
→関連項目京都[市]

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「室町通」の意味・わかりやすい解説

室町通
むろまちどおり

京都市街を南北に通ずる街路で、烏丸(からすま)通の一筋西を走る。1378年(天授4・永和4)足利(あしかが)3代将軍義満(よしみつ)は、一条大路以北に「花の御所」とよばれた室町殿を造営した。現在、二条通付近から東本願寺付近までは織物問屋が集中している。この問屋街は西陣織(にしじんおり)機業の発展に伴って発達し、全国絹織物取引の3分の1を占めるといわれる。また祇園祭(ぎおんまつり)の鉾(ほこ)町の中心をなしている。

織田武雄

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