内灘試射場(読み)うちなだししゃじょう

改訂新版 世界大百科事典 「内灘試射場」の意味・わかりやすい解説

内灘試射場 (うちなだししゃじょう)

朝鮮戦争のさなか,在日米軍が特需製品の砲弾の性能テストをした石川県河北郡内灘町(当時は内灘村)の砂丘地。1952年9月20日,政府は石川県に内灘砂丘の4ヵ月使用を申し入れた。村議会全員協議会は9月21日,石川県議会は10月25日,満場一致で反対を決議したが,政府は国有地払下げ,更生資金支給等の条件で説得,53年3月18日試射がはじまった。試射音は近隣町村に及び,漁業,教育,風紀上等から反対が根強かったが,政府は6月2日,継続使用を決定,15日に試射が再開された。その前日,北陸鉄道労組は米軍物資輸送拒否のストを決行村民も支援の学生,文化人等とともに座込みの反対運動を展開したが,9月14日,村長等は政府の要望を認めた。村民は村長をリコールし,11月10日の選挙で革新派候補がはじめて大量得票したが,前村長の後継者が当選して反対運動は挫折した。しかし反対運動は村政に影響を及ぼし,また全国の基地闘争を鼓舞した。56年に試射は終了,翌年米軍が撤収した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の内灘試射場の言及

【軍事基地】より

…多くの場合,基地が耕地の接収により設置・拡張され,かつアジアでの戦争と結びついて利用されたため,土地取上げ反対運動と反戦・平和運動とが重なって基地反対闘争がおこった。1953年,内灘試射場の無期限使用計画に対し地元民,石川県議会,各政党,労働組合,学生,知識人などが反対闘争を展開したのが組織的な基地反対闘争の最初であり,同年浅間山の基地化が阻止され,55年には妙義山接収計画も撤回させるなど,闘争は各地にひろがった。滑走路拡張問題では55年から57年にわたる砂川闘争が戦後最大の米軍基地反対闘争となり,これと関連して59年3月に東京地裁は米軍駐留を憲法9条違反との判決(伊達判決)をくだした(砂川事件)。…

※「内灘試射場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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