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朝鮮戦争 ちょうせんせんそう Korean War

翻訳|Korean War

8件 の用語解説(朝鮮戦争の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朝鮮戦争
ちょうせんせんそう
Korean War

朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) と大韓民国 (韓国) の間で 1950年6月に始った紛争で,およそ 300万人が命を落した。米軍を主体とする国連軍が韓国側に立って戦争に参加し,また中国が最終的に北朝鮮支援に動いた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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知恵蔵2015の解説

朝鮮戦争

日本の敗戦後、北緯38度線によって南北に分断された朝鮮半島で、1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を突破して南下、以後、53年7月27日の休戦協定調印まで続いた戦争。北朝鮮では祖国解放戦争、韓国では韓国動乱などという。韓国軍を釜山(プサン)まで追い詰めた北朝鮮軍は、米軍主体の国連軍の仁川(インチョン)上陸で中国国境の新義州(シニジュ)まで敗走、その時点で中国の義勇軍が参戦、韓国軍・国連軍を退却させた。以来戦闘は38度線沿いに続けられ、休戦協定によって38度線と斜めに交わる軍事境界線(休戦ライン)が設定された。これが今日の南北の事実上の国境線となり、南北の分断を固定化した。

(2008年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

朝鮮戦争

1950年6月25日に始まった。韓国軍支援のため米国など16カ国の国連軍が参戦し、北朝鮮軍を中国(義勇)軍が支えた。ソウルは北朝鮮側に占領され、韓国側も平壌に侵攻するなど激戦が続いた。53年7月27日、国連軍、北朝鮮軍、中国軍の3者が休戦協定に署名。南北の境界は戦前の北緯38度線から新たな軍事境界線に変わり、今なお分断が続いている。

(2012-07-08 朝日新聞 朝刊 1外報)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

ちょうせん‐せんそう〔テウセンセンサウ〕【朝鮮戦争】

大韓民国朝鮮民主主義人民共和国との間の戦争。第二次大戦後の米・ソの対立を背景として、1950年6月に南北朝鮮を分かつ北緯38度線付近で武力衝突し、それぞれ米軍を中心とする国連軍、中国義勇軍の支援のもとにほぼ朝鮮半島全域を戦場とした国際紛争。1953年7月、休戦協定が成立。朝鮮動乱。

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百科事典マイペディアの解説

朝鮮戦争【ちょうせんせんそう】

1950年―1953年にわたり大韓民国(韓国)軍と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍の武力衝突を機に起こった国際紛争。1950年6月25日北緯38度線付近で衝突が始まった。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうせんせんそう【朝鮮戦争 Korean War】

大韓民国(韓国),朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)間の武力衝突に起因する国際的紛争。朝鮮戦争は1950年6月25日未明の北朝鮮軍の38度線を越えての南下によって開始された。この攻撃は,その準備,規模,作戦のいずれをとってみても,ソ連による事前の承認と援助なしには実行不可能なものであった。しかし,巨視的にみれば,北朝鮮軍南下の背後には,太平洋戦争末期からの朝鮮半島をめぐる米ソの勢力圏争いと統一朝鮮国家の指導権をめぐる国内的対立が存在し,それらが戦争の勃発に大きな役割を演じたことも否定できない。

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大辞林 第三版の解説

ちょうせんせんそう【朝鮮戦争】

大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国との間で行われた戦争。朝鮮の独立・統一問題が米・ソの対立とからんで,1950年6月武力衝突に発展したもの。両国ともそれぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国人民義勇軍の支援を受けて一進一退を繰り返したが,北緯38度線付近で膠着状態となり,53年7月休戦となった。朝鮮動乱。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朝鮮戦争
ちょうせんせんそう

1950年6月25日から53年7月27日まで、3年余にわたり朝鮮半島のほとんど全域を戦場化して戦われた大規模な国際紛争。朝鮮動乱あるいは韓国動乱ともいう。韓国(大韓民国)ではこれを「六・二五動乱」とよび、北朝鮮では「祖国解放戦争」と名づけている。[川越敬三]

規模

交戦当事国の一方は北朝鮮およびそれを支援して人民志願軍(義勇軍)を派遣した中華人民共和国、他方は韓国およびそれを支援して国連軍を編成したアメリカ中心の西側16か国。ソ連は朝・中側に武器弾薬その他の支援物資を提供したほか、軍事顧問、パイロット、医療部隊などを派遣した。戦場に投入された兵力は朝・中側が約300万人(朝・中各約150万人)、国連・韓国軍側が約260万~270万人(うち韓国軍約200万人)と推定された。国連軍兵力の90%以上は米軍である。国連軍に実戦部隊を派遣した西側16か国は以下のとおり。アメリカ、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ギリシア、トルコ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、コロンビア、タイ、フィリピン、エチオピアおよび南アフリカ連邦。このほかインド、イタリア、デンマーク、ノルウェーおよびスウェーデンの五か国が医療部隊ないし医療施設を国連軍に提供した。[川越敬三]

原因と性格

第二次世界大戦直後から急速に表面化した米ソの「冷戦」のもとで、朝鮮は南北に分裂し反目しあうことになった。それが遠因となったことは明らかだが、この戦争の直接の原因と戦争の性格については、いまなお多くの議論がある。韓国、アメリカなど西側諸国では一般に、韓国に対する北からの武力侵攻が発端になったとする見解がとられている。北朝鮮ではそれと反対に、同国の打倒をねらったアメリカが韓国政府を唆して引き起こしたと主張している。近年の日本の研究では、北側からの攻撃先行説が有力視されるようになった。すなわち、韓国をアメリカの事実上の植民地とみなした北朝鮮が、南北朝鮮の武力統一を呼号する李承晩(りしょうばん/イスンマン)韓国大統領の先手をとって「南半部解放」の軍事行動を起こし、その限りでは戦争は朝鮮半島における一種の内戦として始まったが、アメリカがこれに軍事介入したことから、大規模な国際紛争に発展したとする見方である。アメリカの軍事介入が、アジアにおける社会主義といわゆる民族解放運動の勢力拡大阻止を目的にして行われたことは確かである。[川越敬三]

経過

1950年6月25日早朝、北緯38度線を挟んで対峙(たいじ)中の朝鮮人民軍(北)と韓国軍(南)の間に数か所で衝突が起こり、朝鮮人民軍は敗走する韓国軍を追って南下した。トルーマン米大統領はただちに軍事介入を決定して在日米海・空軍、ついで陸軍に出動を命令する一方、国際連合にも介入を働きかけた。ソ連代表不在のまま招集された国連安保理事会は北朝鮮を「平和の破壊者」と非難する決議を採択し(ニューヨーク時間6月25日)、国連加盟諸国に韓国への軍事支援を勧告し(6月27日)、日本駐留米軍のダグラス・マッカーサー元帥を司令官とする国連軍総司令部の設置を決定した(7月7日)。この国連軍は国連憲章第7章に規定された正規の国連軍とは異質のものである。韓国軍は統帥権をマッカーサー総司令官に委譲してその指揮下に入った。トルーマン大統領はまた6月27日、共産勢力の台湾攻撃阻止を理由に米第7艦隊を台湾海峡へ出動させ、同時に左翼ゲリラ鎮圧に手を焼くフィリピン政府と、第一次インドシナ戦争遂行中の南ベトナム駐留フランス軍に対する軍事援助増強を決定した。
 朝鮮戦争の戦局にはほぼ四つの段階があった。
(1)戦争勃発(ぼっぱつ)直後の70日間は朝鮮人民軍の圧倒的優勢のうちに進展した。1950年6月28日には韓国の首都ソウルが陥落、国連・韓国軍は9月初めには大邱(たいきゅう/テグ)、釜山(ふざん/プサン)を含む半島南端の狭い一角に追い詰められた。
(2)国連軍は9月15、16両日仁川(じんせん/インチョン)で大部隊の奇襲上陸作戦を行い、大邱地区でも反攻に転じた。国連・韓国軍は10月初めに38度線を突破し、同月19日平壌を占領、一部の部隊は鴨緑江(おうりょくこう)岸まで到達した。
(3)10月25日、中国人民志願軍の大部隊が鴨緑江を越えて参戦し、朝鮮人民軍とともに反撃した。12月4日には平壌を奪回し、翌51年1月4日、ソウルを再占領した。第5回国連総会は2月1日、中国を「侵略者」と非難する決議を採択した。国連・韓国軍は3月14日ソウルを再奪回したが、38度線付近では激闘が続いた。マッカーサー総司令官は中国本土爆撃を独断で主張、4月11日トルーマン大統領によって罷免された。
(4)6月以降戦線は膠着(こうちゃく)し、双方は互いに強固な陣地を構築して激しい消耗戦を繰り返した。国連・韓国軍は8月から11月にかけての「夏季・秋季攻勢」で戦線東・中部山岳地帯の制圧を試みたが、朝鮮人民軍の要塞(ようさい)「1211高地」が2か月余にわたる猛攻に耐えぬくなど頑強な抵抗にあって成功しなかった。翌52年10~11月の国連・韓国軍の大攻勢も同じような結果に終わった。中部の要衝である38度線北方の鉄原(てつげん/チョルウォン)―平康(へいこう/ピョンカン)―金化(きんか/クムホワ)を結ぶ三角地帯の攻防戦はとくに激烈で、「鉄の三角地帯」の激闘とよばれた。この間、北朝鮮各地は砲爆撃にさらされ、細菌弾、ガス弾にもみまわれた。1953年1月に発足したアイゼンハワー米政権は戦局打開のため原爆使用を検討したが、結局使用に踏み切ることは断念した。[川越敬三]

休戦

1951年6月23日、ソ連の国連代表ヤコブ・マリクがラジオ放送で休戦を提案し、これを契機に同年7月10日から開城(かいじょう/ケーソン)で交戦双方による休戦会談が始まった。その後2年間、激しい戦闘が続くかたわらで交渉が断続的に行われ、1953年7月27日、ようやく板門店(はんもんてん/パンムンチョム)での休戦協定調印にこぎ着けた。協定調印者は、一方が朝鮮人民軍最高司令官金日成(きんにっせい/キムイルソン)と中国人民志願軍司令員彭徳懐(ほうとくかい/ポントーホワイ)、他方が国連軍総司令官マーク・クラーク。韓国は休戦を不満として調印を拒否した。休戦にはなったものの、戦争の最終処理としての平和条約は締結されないまま今日に至っている。
 この戦争での交戦双方の被害は甚大で、国連・韓国軍側の戦死者は韓国軍約42万人、米軍約5万人、その他の国連軍約3000人、ほかに韓国民間人106万余人といわれ、朝・中側は軍要員の死傷者だけで200万人以上と推定された。日本は参戦国ではなかったが、開戦当時まだ占領下にあったため、国土と産業をあげて国連軍の作戦遂行のために使われ、海上輸送や掃海業務に動員された船員のなかから死傷者も出た。また、この戦争に関連して実現した警察予備隊(自衛隊の前身)の発足、左翼運動規制の強化、「戦争特需」による経済活性化などは、戦後日本の政治、経済にとって一つの重大な転機となった。[川越敬三]
『I・F・ストーン著、内山敏訳『秘史・朝鮮戦争』(1966・青木書店) ▽D・W・コンデ著、陸井三郎監訳『朝鮮戦争の歴史』(1967・太平出版社) ▽信夫清三郎著『朝鮮戦争の勃発』(1971・福村出版)』

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世界大百科事典内の朝鮮戦争の言及

【国際連合】より

…また軍事的措置にそなえて加盟国が提供する兵力や便益の内容を定めた取決めを結ぶ企ては,早くも放棄された。もっとも,1950年の朝鮮戦争の際には,安全保障理事会は第7章の下での平和の破壊と認定し,〈武力攻撃を撃退するために必要な援助〉を韓国に与えることを勧告する決議を採択し,これにもとづいてアメリカを中心とする〈国連軍〉が編制された。このように,安全保障理事会で軍事強制行動に関する決議が採択されたのは,当時ソビエトが,中国代表権問題にからんで,安全保障理事会をボイコットする戦術をとっていた偶然によるものであった。…

【中華人民共和国】より

…これと同時に〈現代化された陸軍を強化するとともに,空軍および海軍を建設して国防を強固にしなければならない〉と,国を守るにふさわしい国防軍の建設がうたわれた。
[国防軍の建設]
 この軍隊の整備・強化に着手した中国にとって,重大な影響を受けたのが朝鮮戦争であった。全中国の統一も完成せず,軍の基盤を整えるいとまもなく,50年10月,〈抗米援朝〉のスローガンのもとに〈中国人民義勇軍〉を朝鮮へ派遣する。…

【中国人民義勇軍】より

…彭徳懐が指揮した。1950年6月朝鮮戦争が始まり,初め優勢であった朝鮮民主主義人民共和国軍は9月米軍の仁川上陸作戦で形勢逆転し,国連軍は10月8日,38度線を越え北上,20日には平壌を占領した。これに対し中国は国境に待機させていた第4野戦軍を中心とする精鋭を中国人民義勇(志願)軍として10月25日から国境を越えて進入させ,11月下旬西部戦線の清川江,東部戦線の長津湖の戦で米第8軍を中心とする国連軍主力を包囲し,得意の人海戦術で徹底的に撃滅した。…

【朝鮮】より

…豊臣秀吉の侵略時には,これに対抗するため100城以上の山城が築城され,義兵の根拠地にもなった。近代の抗日義兵闘争や現代の朝鮮戦争でも,これらの山城が使用されていることは,注目すべきであろう。山城(さんじょう)
[言語と文字]
 原始時代の朝鮮には多くの系統を異にする種族と言語があったが,《魏志》東夷伝によれば,3世紀の朝鮮には濊(わい),貊(はく),韓,倭の4民族がおり,その後しだいに南部の韓族が勢力を得,新羅の統一によって朝鮮民族の形成基盤ができた。…

【朝鮮民主主義人民共和国】より

…正式名称=朝鮮民主主義人民共和国Democratic People's Republic of Korea面積=約12万2300km2人口(1996)=約2390万人首都=平壌P‘yŏngyang(日本との時差なし)主要言語=朝鮮語通貨=ウォンWŏn1948年9月9日に北緯38度線以北に平壌で創建された社会主義国家。朝鮮戦争(1950‐53)後は休戦ライン以北を支配領域としており,9道19市144郡からなる。1930年代中国東北で展開された抗日武装闘争の革命伝統を受けつぎ,朝鮮労働党をひきいる金日成を建国以来の指導者として,自主独立の姿勢で一貫してきた。…

【特需】より

…特殊需要special procurementの略語。通常,1950年6月に勃発した朝鮮戦争に関連して発注された戦時の特殊な軍事需要(朝鮮特需)をいう。狭義には〈国連軍(主として在日米軍)が特需契約に基づいて調達する物資およびサービスの代金〉を呼び,広義には〈前記のほか日本に駐留する外国軍隊の消費(円セール)ならびに外国関係機関の支出に伴う受取り〉をも含む。…

【冷戦】より


[軍事的緊張]
 米ソ間の,あるいは東西両ブロック間の対立は,厳しい軍事的緊張を伴うものであった。実際,朝鮮戦争のように軍事的対立が戦争に転化した場合もあったし,キューバ危機のような〈核戦争〉が勃発する危険をはらんだ国際危機がいく度となく存在した。その原因としては,次の三つをあげることができる。…

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