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内灘砂丘 うちなださきゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

内灘砂丘
うちなださきゅう

石川県中央部,日本海岸にある砂丘。金沢市の金石 (かないわ) から内灘町を経てかほく市宇ノ気地区まで連なる。延長約 10km,幅は約 1km。最高点は権現森山,標高 53m。砂丘は西風で移動するので,加賀藩時代からクロマツニセアカシアネムノキなどの植林で固定作業が行なわれた。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔石川県〕内灘砂丘(うちなださきゅう)


石川県中部、金沢(かなざわ)平野北部の海岸砂丘。幅1~1.5km。長さ約10km。内側に河北潟(かほくがた)があり、ニセアカシアの防風・防砂林が茂る。河北潟の干拓により砂丘内に放水路がつくられ、野菜・果樹を栽培。南部に金沢港が築かれ、付近は宅地化した。公園・海水浴場が整備され、金沢医科大学などがある。1952年(昭和27)に砂丘の一部にアメリカ軍の砲弾試射場設置が計画され、反対闘争(内灘闘争)が起こった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

内灘砂丘
うちなださきゅう

石川県河北(かほく)郡内灘町を中心に発達する砂丘。日本海に面し、金沢市粟崎(あわがさき)町からかほく市に及び、延長約10キロメートル、幅約1キロメートル、内側に河北潟を抱く。最高点は61.3メートルで、新旧2層の砂丘からなり、その境に縄文中期から弥生(やよい)末期の石器、土器類を出土する。砂丘上は飛砂防止のニセアカシア、クロマツを栽植し、ハマナス、イソスミレなど貴重な植物もある。河北潟干拓工事に伴い、砂丘を掘り割って放水路が設けられ、南側は金沢港の築港や金沢の近郊住宅地として都市化が進み、私立金沢医科大学、同病院がある。能登(のと)有料道路が走り、北陸鉄道浅野川線が内灘町まで通じる。かほく市には砂丘地農業試験場(石川県農業総合研究センター)がある。1953年(昭和28)の内灘事件で有名。[矢ヶ崎孝雄]

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世界大百科事典内の内灘砂丘の言及

【内灘[町]】より

…日本海と河北潟の間の砂丘地帯にあり,南は金沢市に接する。内灘砂丘は旧砂丘の上に新砂丘が形成されたもので,旧砂丘からは石器時代の遺物が出土した。オホーツク海のホタテガイ漁を開拓するなど,かつては北海道への出稼漁を中心とする町であった。…

【金沢平野】より

…北部は河北潟東岸の低湿地帯で,かつては水郷景観がみられた。河北潟の西側,海岸沿いに発達する内灘砂丘は幅約1km,最高所は標高53m,延長10kmに及ぶ大砂丘で,第2次世界大戦終戦まで陸軍の演習場にも利用され,戦後はアメリカ軍の試射場となったこともある。現在は金沢市の近郊という地理的条件から1960年のアカシア団地造成以後急速に住宅地化が進んだ。…

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