日本大百科全書(ニッポニカ) 「内灘砂丘」の意味・わかりやすい解説
内灘砂丘
うちなださきゅう
石川県河北(かほく)郡内灘町を中心に発達する砂丘。日本海に面し、金沢市粟崎(あわがさき)町からかほく市に及び、延長約10キロメートル、幅約1キロメートル、内側に河北潟を抱く。最高点は61.3メートルで、新旧2層の砂丘からなり、その境に縄文中期から弥生(やよい)末期の石器、土器類を出土する。砂丘上は飛砂防止のニセアカシア、クロマツを栽植し、ハマナス、イソスミレなど貴重な植物もある。河北潟干拓工事に伴い、砂丘を掘り割って放水路が設けられ、南側は金沢港の築港や金沢の近郊住宅地として都市化が進み、私立金沢医科大学、同病院がある。能登(のと)有料道路が走り、北陸鉄道浅野川線が内灘町まで通じる。かほく市には砂丘地農業試験場(石川県農業総合研究センター)がある。1953年(昭和28)の内灘事件で有名。
[矢ヶ崎孝雄]