内田貞音(読み)ウチダ テイオン

20世紀日本人名事典 「内田貞音」の解説

内田 貞音
ウチダ テイオン

明治・大正期の尼僧,教育者 京都知恩院内尼衆学校監督兼教授。



生年
文化11年11月13日(1814年)

没年
大正7(1918)年4月17日

出生地
江戸・日本橋(東京都中央区)

別名
俗名=徳子,号=常蓮社教誉住阿

経歴
幼時、実家が火災に遭ったため両国にある祖父母の許で育つ。ここで観音信仰の影響を受け、元治元年(1864年)浄土宗の僧侶福田行誡の許で出家、貞音に改名した。明治13年から順教徹定とともに鹿児島で布教を行い、16年には活動の拠点として鹿児島市小松原町に布教所を設立。のち輪島聞声が京都・知恩院境内に設立した尼衆学校で教えることとなり、21年の開校式後に同校の初代監督兼教授となった。また大阪・大宝寺内にも尼衆学校の支校を開くなど、尼僧教育の発展に大きく寄与した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「内田貞音」の解説

内田貞音

没年:大正7.4.17(1918)
生年:文化11.11.13(1814.12.24)
明治大正時代の尼。江戸(東京)日本橋生まれ。父は内田甚吉。幼時に生家が焼失したため,両国の祖父母のもとで養育され,観音信仰の影響を受ける。元治1(1864)年,福田行誡のもとで出家し,徳子を貞音と改める。明治13(1880)年より,順教徹定と共に鹿児島布教を行い,同16年,鹿児島市小松原町に布教所を設立し浄土宗布教の拠点とする。輪島聞声が京都・知恩院の境内に尼衆教場を設立すると,同21年の開校式のあとを聞声より承けて初代監督兼教授に就任,大阪・大宝寺内に尼衆教場の支校を開設。生涯尼僧教育に尽くした。<参考文献>『浄土宗尼僧史』

(岡村喜史)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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