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両国 りょうごく

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

両国
りょうごく

東京都墨田区南西部の地区。 JR総武線と首都高速7号小松川線の間にある商業地区。隅田川両国橋で西の中央区へ通じる。地名は江戸時代には武蔵国と下総国の両国にまたがっていたことによる。 JR両国駅北側の操車場跡に,1985年,新国技館が建設され,蔵前より移転。 93年には国技館に隣接して江戸東京博物館が開設された。付近に相撲部屋が多い。

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デジタル大辞泉の解説

りょう‐こく〔リヤウ‐〕【両国】

《「りょうごく」とも》両方の国。ある物事にかかわる二つの国。「両国の首脳」

りょうごく〔リヤウゴク〕【両国】

東京都墨田区南西部、隅田川東岸の地名。かつては両国橋の東西両岸の地域をいい、名は隅田川が武蔵下総(しもうさ)両国の境をなしたことによる。回向院がある。

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百科事典マイペディアの解説

両国【りょうごく】

東京都墨田区と中央区を結んで隅田川にかかる両国橋(明暦の大火後の1660年ころ初めて架橋)両岸の地名。名は武蔵・下総(しもうさ)両国を結ぶ意。江戸時代,橋の西詰は両国広小路と呼ばれた盛り場
→関連項目墨田[区]中央[区]本所

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世界大百科事典 第2版の解説

りょうごく【両国】

東京都墨田区南西部の地名。もと隅田川(大川)は武蔵・下総両国の境をなし,明暦の大火(1657)後の万治年間(1658‐61)に隅田川の最初の橋として架けられた大橋はのち両国橋と呼ばれた。地名はこれに由来し,橋の西詰には火除地として両国広小路が開かれ,北の柳橋に連なる盛り場となった。東詰には明暦の大火の焼死者を葬った回向(えこう)院が建てられた。回向院の境内では勧進相撲が行われ,1909年には国技館が完成,一時浅草蔵前に移ったが,85年再びこの地に戻った。

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大辞林 第三版の解説

りょうこく【両国】

二つの国。両方の国。 「 -の関係」

りょうごく【両国】

東京都墨田区、両国橋付近の地名。国技館・回向院えこういんがある。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔地域名〕両国(りょうごく)


東京都東部、隅田(すみだ)川をはさんで、墨田区南西端から中央区北東端にかけての地区。
武蔵(むさし)と下総(しもうさ)両国の境をなした地で、回向(えこう)院(浄土宗)、震災記念堂などがある。横網には両国国技館がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

両国
りょうごく

東京都墨田(すみだ)区南西端、隅田(すみだ)川左岸の一地区。かつては両国橋の両側をいい、右岸の中央区側にも両国の名があったが、1971年(昭和46)東日本橋と町名変更された。北隣の横網との境に、かつて総武線の玄関口としてにぎわったJRの両国駅があり、横網の南東端、清澄通り沿いには都営地下鉄大江戸線の両国駅がある。両国橋は明暦(めいれき)の大火(1657)後架橋され、左岸の本所(ほんじょ)がかつて下総(しもうさ)国に含まれたため、武蔵(むさし)・下総両国を結んだことが橋名となり、地名はこの橋に由来する。見世物・芝居小屋、茶店などでにぎわった両国広小路は、両国橋の西詰で、現在の中央区東日本橋北部にあたる。墨田区側は東両国、向両国ともよばれた。東詰には、明暦の大火の死者を葬った回向(えこう)院があり、江戸後期しばしば境内で勧進相撲(かんじんずもう)が行われ、1909年(明治42)国技館が建設された。現在の国技館は1985年(昭和60)、蔵前から両国駅北側に移設されたもの。なお両国は隅田川の花火でも知られ、旧暦5月28日の川開きは見物客と納涼船がひしめき、「玉屋」「鍵(かぎ)屋」の掛け声とともに華やかに夜空を飾った。一時中止されたが、現在の隅田川花火大会は、上流に移って行われている。[菊池万雄]

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