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東京都墨田区南西部の地名。もと隅田川(大川)は武蔵・下総両国の境をなし,明暦の大火(1657)後の万治年間(1658-61)に隅田川の最初の橋として架けられた大橋はのち両国橋と呼ばれた。地名はこれに由来し,橋の西詰には火除地として両国広小路が開かれ,北の柳橋に連なる盛り場となった。東詰には明暦の大火の焼死者を葬った回向(えこう)院が建てられた。回向院の境内では勧進相撲が行われ,1909年には国技館が完成,一時浅草蔵前に移ったが,85年再びこの地に戻った。周辺には現在も相撲部屋が多い。夏の風物詩川開きの花火は1962年から中止されていたが78年復活した。国技館に隣接して江戸東京博物館(1993年開館)がある。北隣の横網との間に総武本線両国駅がある。なお,1971年まで両国橋西詰の中央区側にも両国という地名が残っていた。
執筆者:正井 泰夫
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東京都墨田区(すみだく)南西端、隅田川(すみだがわ)左岸の一地区。かつては両国橋の両側をいい、右岸の中央区側にも両国の名があったが、1971年(昭和46)東日本橋と町名変更された。北隣の横網との境に、かつて総武線の玄関口としてにぎわったJRの両国駅があり、横網の南東端、清澄通り沿いには都営地下鉄大江戸線の両国駅がある。両国橋は明暦(めいれき)の大火(1657)後架橋され、左岸の本所(ほんじょ)がかつて下総(しもうさ)国に含まれたため、武蔵(むさし)・下総両国を結んだことが橋名となり、地名はこの橋に由来する。見世物・芝居小屋、茶店などでにぎわった両国広小路は、両国橋の西詰で、現在の中央区東日本橋北部にあたる。墨田区側は東両国、向両国ともよばれた。東詰には、明暦の大火の死者を葬った回向院(えこういん)があり、江戸後期しばしば境内で勧進相撲(かんじんずもう)が行われ、1909年(明治42)国技館が建設された。現在の国技館は1985年(昭和60)、蔵前から両国駅北側に移設されたもの。なお両国は隅田川の花火でも知られ、旧暦5月28日の川開きは見物客と納涼船がひしめき、「玉屋」「鍵(かぎ)屋」の掛け声とともに華やかに夜空を飾った。一時中止されたが、現在の隅田川花火大会は、上流に移って行われている。
[菊池万雄]
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