内蔵村(読み)うちのくらむら

日本歴史地名大系 「内蔵村」の解説

内蔵村
うちのくらむら

[現在地名]中山町田中たなか

悟正院ごしよういん村の北に位置する。「伯耆民諺記」には内倉、「伯耆民談記」には倉内と記載される。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に山城石清水いわしみず八幡宮領ならびに宿院極楽寺領として「内蔵別宮」がみえる。八橋やばせ郡に属し、藩政期の拝領高三一八石余、本免四ツ一歩。黒部氏・宮脇氏の給地があった(給人所付帳)幕末の六郡郷村生高竈付では生高四八五石余、竈数二三。藪役銀八匁を課されていた(藩史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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