内郡村(読み)うちこおりむら

日本歴史地名大系 「内郡村」の解説

内郡村
うちこおりむら

[現在地名]朝日町内郡

丹生山地東麓に流れ出る天王てんのう川の谷口にある。単に「こおり」ともよび、「かわら」「やしき」「かみで」「まつて」の四垣内に分れる。村名は康正二年造内裏段銭并国役引付に「三貫文」として「妙法院御領、越前国内郡村、段銭」、元亀三年(一五七二)六月一五日付景固等沙汰状(劔神社文書)に「織田庄内郡」とみえ、京都妙法みようほう院領織田おた庄に含まれていた。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では織田庄(高二一一七・七三七石)に含まれる。正保郷帳に村名がみえ、田方四八九石余・畠方七一石余。初め福井藩領、貞享三年(一六八六)幕府領となったが、明和元年(一七六四)三河国西尾藩領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む