日本歴史地名大系 「織田庄」の解説
織田庄
おたのしよう
織田
とあり、後鳥羽天皇の生母七条院(藤原殖子)の院庁下文および越前国司庁宣により、女院の御願寺である歓喜寿院領として四至を定めて示を打ち、勅院事・恒例臨時大小国役などの雑役が免除されていることがわかる。さらに安貞二年(一二二八)八月の七条院処分目録案(東寺百合文書)によれば、七条院より修明門院(藤原重子)に譲渡されている。この間の事情は康永三年(一三四四)七月日付の無品親王庁解(妙法院文書)に、
とある。
織田庄
おりたのしよう
現美浜町の
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報